植物と猫が好きで、歴史小説の名手としても知られる朝井まかてさんの新刊『青姫』。不思議な土地に迷い込んだ若者が、試行錯誤しながら米を作るのを主軸に、クセつよ人物たちが跋扈するエンターテインメントだ。
自分の考えを投影して登場人物を動かすことはない
大阪生まれ大阪育ちの朝井さんだが、子どものころは、近所に農家が多く、原風景は田んぼと共にあるという。
「学校へ向かう道の両側が田んぼだったんです。田植え後の水を張った田、夕焼けで赤く染まった田、実った稲穂が波のように揺れる田を見ながら通いました。
稲刈りの終わった切り株を踏む足裏の気持ちよさ、四季それぞれの田んぼの匂い。大好きでした。コロナ禍で外出もままならず、無性に土に触れたくなったこともあり、この物語は主人公に米を作らせよう、ということだけで始めたんです」
時は江戸時代初期。所は“青姫の郷”。ここは、まだ江戸幕府の支配が及んでいない自由経済で成り立つ土地。政は、くじ引きによって天意を知り、民意を尊重して決められる。
武士と騒動を起こして村を逃げ出し、青姫の郷に流れてきた青年・杜宇は、くじ引きによって郷にいることを許され、米を作るよう命じられる。
青姫の郷の住民はそれぞれに生業を持ち、市場で自由に売り買いし生活している。『青姫』の舞台は、そんな魅力的な場所だ。
「実は、くじ引きによって天意を知るというのは、古代中国の思想にあり、日本もその影響を受けています。室町時代にくじで決めた将軍もいたんですよ。江戸初期は幕藩体制ができておらず、異国の人も多かったし、自由経済も残っていました。物語の基本要素は、史実にのっとったものです」
朝井さんの場合、あらかじめストーリーを決めたり、プロットを立てたりすることはない。時代と場所、主人公が何をするかが決まれば、物語はおのずと動き始める。
「私が登場させた人ではあるんだけど、意外な動きをするんですよ。“この人、こんなこと言うてる、へー、すごい”とかもあります。悔しがったり、泣いたり、喜んだり、感情の変化が起きるのが楽しみで書いているんです。彼らが彼ららしく生きることは、作家の責任。物語のために、ねじ曲げないようにしています」
時代や環境が違えば、生き方も大切に思うものも違う。江戸初期の農業は現代のものとは大きく違っていただろう。『青姫』には、米作りと、それに伴う神事が詳しく書かれている。
「自然農法をやっている人の田んぼを手伝わせてもらったり、資料を提供してもらったり。古い農書も参考にしました。現代でも、農業は自然に非常に左右されます。日本人にとって稔りを神に祈ることは、為政者の役割でもありました。だから郷の神事も、頭領である姫に行わせました。登場人物たちにとって、その時代、その環境こそが大切。私の考えを投影して彼らを動かすことはしません」
朝井さんにとって、登場人物はわが子みたいなものか。
「私が書いた人だけど、産んでない(笑)。出会った人たち、という感覚ですね」
49歳で作家デビューして良かったことは
作家デビューは、49歳。40代半ばに一念発起。大阪文学学校に入って小説を学び、2008年にデビューした。
「作家になってまだ16年なのに、もうこの年齢。まだまだ書きたいことがあるのに(笑)。ただ、人生後半のデビューで良かったと思う点もあって、それまでに実人生の実感がたくさんあること。裏切られたり裏切ったり。いろんな経験をしてきていることは、たぶん創作の糧にはなっていると思います」
朝井さんは、子どものころから本を読むのが好きで、物語の世界に遊んでいたそうだ。
「子どものころ、妹や友達を、よく私の世界に巻き込んでいました。Aちゃんはこの役、Bちゃんはこの役、と役を与えて遊んでいた。いい迷惑だったでしょうね。思えばそのころ、いろいろイメージしたことが、小説の基になっているのかもしれません」
遅咲きだが、作家になるべくしてなったのだろう。それまではコピーライターとして仕事をし、家事もこなしていた。作家となり依頼が次々舞い込み、忙しくなる。
「これじゃ私、死ぬわと思って、夫に料理を教えたんですよ。おだてて育てる時間ないから、もうスパルタで。何もできなかった男が、今や“◯◯作ったから、先食べてるで”って。私はいざ書き始めると机を離れないのをわかっているから。“うん、どうぞ。ありがとう”と答えます」
デビュー当時はダイニングテーブルで小説を書いていた。
「おでんを炊きながらやっていましたけど。どんどん資料が増えて、リビングにもあふれ、そのうち家族のスペースを乗っ取ってしまって」
何度かの引っ越しを経て、今はたっぷり本が詰まった書斎で書いている。
「大画面のデスクトップパソコンじゃないと書けないので、書斎を離れられないの。喫茶店とか旅先とかでは、一切仕事できない。難儀な体質です」
引っ越しのたびに、大好きな植物と猫を連れて移動してきた。ダイニングの窓からはアカシデの梢に鳥たちが遊んでいるのが見え、和ませてくれる。死んでしまった猫のマイケルはよくパソコンの前で寝て、邪魔をしてくれた。
「猫と植物は物心ついたときから好き。予測不能なところがいいんです」
小説の登場人物たちも、朝井さんには予測不能だ。思い思いに動き、物語を紡いでくれる。
「『青姫』の登場人物たちは皆、クセが強くて、自由。歴史小説とファンタジーの両面を併せ持っていますから、ちょっと風変わりな世界かも。でも、彼らは懸命に生きました」
楽しく朝井ワールドにハマれることは間違いない。
最近の朝井さん
「趣味は読書。寝る前に好きな本を読みながら寝るのが幸せ。電子書籍じゃなく紙の本がいい。今は『精霊たちの家』という翻訳もの。分厚いので寝転ぶのは重たいけど。猫のマイケルは26歳で亡くなりましたが、時々、夢に出てきます。目が覚めたときに抱き上げた感触が胸に残っていて、それだけで満たされる。だから次の子を飼うにはまだ踏み切れないでいます」
朝井まかて(あさい・まかて)/1959年大阪府生まれ。2008年『実さえ花さえ』で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し、デビュー。『恋歌』で、2013年本屋が選ぶ時代小説大賞と、2014年直木三十五賞受賞。『阿蘭陀西鶴』で2014年織田作之助賞。『眩』で2016年中山義秀文学賞。『福袋』で2017年舟橋聖一賞。『悪玉伝』で2018年司馬遼太郎賞。『類』で2021年柴田錬三郎賞と、芸術選奨文部科学大臣賞など多くの賞を受賞。近著に『青姫』(徳間書店、税込み2200円)