三笠宮妃百合子さまが、11月15日午前、老衰のため、入院先の病院で亡くなった。101歳だった。昭和天皇の末弟、三笠宮崇仁親王の妃で、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの祖父である上皇さまの叔母にあたる。明治以降の皇室で最高齢だった。戦前の1941年10月22日に、三笠宮さまと結婚し、寛仁さま(2012年に逝去)、桂宮宜仁さま(2014年に逝去)、高円宮憲仁さま(2002年に逝去)の3親王と2女に恵まれた。
佳子さまと悠仁さまらも参列
11月16日、百合子さまの納棺にあたる儀式「御舟入」が東京・元赤坂の赤坂御用地内にある三笠宮邸で営まれた。天皇、皇后両陛下は慣例で参列せず、儀式に先立って三笠宮邸を訪問した。上皇さまと、10月に右大腿骨上部を骨折して手術を受けた上皇后さまも、左手で杖をつき、右手で上皇さまにつかまりながら歩いて宮邸に入った。その後、最後のお別れをする「拝訣」が行われ、敬宮愛子さまや秋篠宮ご夫妻、それに、佳子さまと悠仁さまらも参列した。
翌17日の午後、私は、亡くなった百合子さまを悼んで、三笠宮邸前に設けられた弔問記帳所を訪れた。その日は、日差しがたっぷりで、すがすがしく、気持ちのよい日だった。多くの国民から慕われた、百合子さまの温かい人柄を思い起こした。私は、東京メトロ永田町駅で地下鉄を降りて、地上に出た。赤坂見附交差点にある電光掲示板は「22度」を表示していた。
黒のスーツと黒のネクタイ姿の私は、上着を脱いで、ワイシャツの両腕をまくり、青山通り(通称。国道246号の一部)に沿った歩道を歩き始めた。休日の午後とあって、半袖のTシャツ姿の子どもや外国からの旅行者ともすれ違った。歩いていると、額に汗をかいた。赤坂御用地の巽門を通り過ぎたが、弔問記帳所のある南門はまだ、先である。しばらく歩くと大勢の警備担当者が見えた。南門に到着した。
天気の良い日曜日なので、弔問客で混雑しているかと思ったが、すぐに入門ができた。まず、不審物がないか手荷物を入念に調べられた。それから、ボディチェックを受け、やっと、赤坂御用地内に入った。やはり、御用地の中は緑が多く、空気も、外とは違うように感じられる。
百数十メートルほど行くと堂々とした三笠宮邸が見えた。その手前に、仮設テント内に設けられた弔問記帳所があった。ここでも、待つことなく記帳ができた。担当者から、都道府県名と氏名を書くように促され、百合子さまのご冥福を祈りながら、中太の黒のサインペンで名前などを書き込んだ。もう一度、三笠宮邸をじっくり眺めた。茶色い屋根がとても美しく、印象深かった。
歩道を引き返して帰宅を急いでいたところ、東京メトロの出口で、年配の女性から、「記帳所へは、どう行ったらいいのでしょうか」と、呼び止められた。聞くと、女性の父親は、百合子さまと同じ年齢で、「生きていれば、今年は101歳だったなあ」と、父親のことを思い出したという。百合子さまに以前から親しみを覚え、弔問記帳に訪れた。女性から「混んでいますでしょうか」と、尋ねられた私は、「今、記帳を済ませてきました」「大丈夫ですよ」と答え、道案内をして別れた。
百合子さまのオーラルヒストリー
百合子さまの夫、三笠宮さま(1915―2016年)は、大正天皇と貞明皇后の4番目の男子である。長兄は昭和天皇、そして、秩父宮さま、高松宮さまの兄がいた。2016年10月27日、100歳で亡くなったが、その伝記『三笠宮崇仁親王』が、三笠宮崇仁親王伝記刊行委員会によってまとめられ、出版された。この中にある、百合子さまのオーラルヒストリー(口述記録)が、大変、興味深い。
三笠宮さまは小さいころ、いたずらっ子だったらしい。母の貞明皇后が、「投げて良きもの」、枕やクッションなど。それと、「投げて悪しきもの」、三笠宮さまが投げては危ないものを分類したという。
百合子さまが、娘の近衞甯子さん、孫の彬子さまに「そうそう。洗心亭…。『心を洗う亭』っていうお茶室のところが、お庭の中にある。そこのお庭にあった榻(とん)っていう、一人でちょっと腰を下ろせるような、それを下の池に皆お投げ入れになったんですって」と話されるくだりがある。
「榻」というのは、円筒形をした陶磁器の中国風腰掛けで、庭園に置く。榻と一緒に写った三笠宮さまの写真も、この本に掲載されているが、高さは70〜80センチはあろうか、かなりの重さのように見える。
彬子さま「え? おじいちゃまが?」
百合子さま「ええ」
彬子さま「(笑う)」
甯子さん「お転がしになったんでしょうね、ゴロゴロ」
百合子さま「すごい悪戯でらしてね(笑う)。コロコロと」
甯子さん「お転がしになったんでしょうね。まさか、お小さいのにお抱えになることは、ちょっと無理だと思うから」
百合子さま「それで、ボチャーン!と。面白くていらしたんでしょうねえ」
甯子さん「でも、誰も見てなかったってことはないのに、お止めしなかったのかしら?」
百合子さま「どうなんでしょうね(笑う)。それだもんで、だいぶお悪戯(いた)をなさるんで、『投げて良きもの』と『投げて悪しきもの』って」
全員「(笑う)」
長年、三笠宮さまを支えた百合子さまだからこそ、知ることのできる心温まるエピソードである。
昭和天皇の長男である上皇さまは、戦前、戦中、戦後を知る「生きた歴史の証人」だ。そこで、上皇ご夫妻が元気でいる今こそ、孫である佳子さまたちが中心となり、祖父母のオーラルヒストリー(口述記録)をまとめてみたらいかがだろうか。孫だからこそ気軽に話ができるかもしれない。国民にとっても、優れた財産となるはずである。
<文/江森敬治>