2024年11月14日に亡くなった火野正平さん

 希代のプレイボーイは家族に見守られ、穏やかに最期を迎えた。2024年11月14日、火野正平さんが亡くなった。

「13歳だった1962年にフジテレビ系のドラマ『少年探偵団』でデビュー。その後、1973年放送のNHK大河ドラマ『国盗り物語』で羽柴秀吉を演じて話題になりました。以降は時代劇や任侠モノを中心に活躍。近年はNHK BS『にっぽん縦断 こころ旅』にレギュラー出演。自転車に乗って全国各地を回る姿が人気でしたが、2024年4月に持病の腰痛が悪化し、出演を取りやめていました」(スポーツ紙記者、以下同)

 復帰を目指していたが、夏に腰部骨折をして体調が悪化。復帰は叶わなかった。

 プライベートでは“モテ男の代名詞”として知られ、数々の女性と浮名を流した。

「1970年に結婚しましたが、直後に新藤恵美さんとの交際が発覚。その後も小鹿みきさんや仁支川峰子さんなど、女優との交際が浮上。ワイドショーをにぎわせていました」

「俺を隊長と呼ぶように」

 そんな火野さんと時代劇などで共演することが多かったという立花理佐が思い出を振り返った。

「最初にお会いしたのは、京都の太秦にある撮影所で、私は20歳前後くらいだったかな。その日に正平さんから “俺を隊長と呼ぶように。理佐は小隊長な”と言われました。ほかに隊員がいるわけでもなく、撮影があるときはずっと一緒にいて、ごはんを食べに行ったり、冗談を言い合ってふざけたりして。正平さんは大先輩ですが、素でいられる存在でした」

立花理佐

 あるときには“隊長”の火野さんから“ナンパ”の手伝いを指示された。

「私と仲のいい女優さんを正平さんが気に入ったのか、“100万円あげるから連絡先を聞いてきてくれ”と言われました。その女優さんに確認したら“100万円もらえるなら私が直接教えに行く!”と言い残して行ってしまいました。結局、正平さんとウワサにならなかったので、本当に教えたのか怪しいですね(笑)。私は正平さんと仲がよかったですが口説かれることはなかった。あるとき“私のことは口説いたことないね”と言ったら“おまえはちゃうねん”と。兄妹のような感じでしたね」(立花、以下同)

世界でいちばん芝居がうまい

 そんな自由気ままな火野さんも役者として芝居に真摯に向き合っていた。

「私は世界でいちばん芝居がうまいのは正平さんだと思っています。家に伺ったときに部屋の中に本がずらっと平積みになっていて驚きました。私も本を読むほうだと思っていましたが、レベルが違う。役者はそれくらい本を読んで勉強しないといけないんだなと感じましたね」

 ここ最近は会えていなかった中での訃報だった。

「何年か前に携帯電話が水没して、連絡先が消えてしまいました。テレビを見ていると元気そうだったので“また、いつでも会える”と思っていたのですが……。正平さんは親友であり、兄であり、父であり、先生。本当にカッコいい人でした。本人には一度も言ったことないですが(笑)」

 元祖色男は“女性の敵”ではなく、みんなから愛される存在だった。