「中学を卒業したらプロレスラーになることが決まっていたので、それまでは好きなことをやろうと決めていたんです。どうせならプロレスの練習になるということで、ケンカばっかりしていました」
ブル中野がプロレスに初めて接したのは、小学5年生のときだった。
「たまたまプロレス中継を見ていたら、なんだか身体がゾクゾクしちゃって、感動したんです。猪木さんと大きな外国人レスラーの試合でした」
ただそれほど熱狂的なファンではなく、せいぜい写真やグッズを集める程度。そんな彼女の背中を強く押したのがお母さんだった。
「中学1年のとき、母に“そんなに好きならレスラーになったら”と言われオーディションを受けたんです。合格しましたが、規定では15歳以上ということだったので、正式な入団は卒業してからということになりました」
進路が決まっていたので、学業に対するモチベーションは、ほぼゼロだった。
「今しか遊べないと思って。遊ぶというよりも、地元・埼玉の川口にある中学全部をシメてやろうと思いました」
各中学のスケ番に果たし合いを申し込み公園や神社の境内で“死闘”を繰り返した。ただ、川口の中学は多すぎて、自分の学校の近くだけになったというオチがつくが、誰にも負けることはなかった。
全日本女子プロレスに入団するとテスト生は全員が寮生活に。今の時代は栄養士がカロリー計算をしてくれたり、バランスのいい食事を作ってくれたりするが、当時はそんな恵まれた環境ではなく、
「お米だけは会社から支給されて、あとは自分たちで作ったりするんですが、あんまりしなかったですね。だから、いつもお腹がすいていましたしお金もなくて外食もできませんでした」
ホームシックにもかかった。
「毎日帰りたかったです。練習はつらいし、先が見えず自分はこの先どうなるんだろう、って不安でした」
入団半年後にプロテストがあったのだが、不合格。それから1か月後の2回目も不合格。3回目でやっと合格したが補欠だった。柔道も習い、ストリートファイトで実戦経験も積んだのに、プロの道は厳しかった。
「落ちこぼれでした。スパーリングは一番強かったけど、腕立て伏せとか腹筋とかの基礎体力がまるっきりダメ」
試合は毎日のように組まれた。当然ケガも多くなる。
「試合を休むと代わりに下の選手が入ってしまい、次がなくなっちゃうんです。当時はみんな引きずり下ろし合いでした。骨折でもヒビでも我慢してやっていました」
病院で治療してギプスをはめて帰ってくると、
「会長が“こんなのをつけていたらいつまでも治らない”と、トンカチで割ってしまうんです。痛いと言っても“我慢すればいいんだ”って」
ようやくプロレスで生活ができるようになったときに、思いがけない出来事が。
「16歳の終わりごろでした。ダンプ松本さんに悪役にならないかって誘われたんです。イヤでしたが、先輩の言うことは絶対でしたから」
『極悪同盟』に加入し、希代の悪役レスラー、ブル中野の誕生である。皮肉なことに、悪役となってテレビ出演も増えると、給料も急に増えた。
「17歳のときは月に70万〜100万円もらっていました」
しかし、彼女は本当に、悪役にはなりたくなかった。
「前から両親も“アッチにだけは入るなよ”と言っていて。私も“行かないよ”と言っていたんですけどね」
髪の毛を染め、亀裂のようなメークをしたら、いままで応援してくれていた親戚も離れていってしまい、
「隠れて付き合っていた彼氏も、私が半分ハゲの髪型にしたら離れていきました。私のファンだったんですが、ベビーフェイス(善玉役)が好きだったんでしょうね。
でも、悪役になってよかったと思います。そうじゃなかったら中途半端なレスラーで終わっていました。きっと途中で辞めていたでしょうね。またやりたいとは思いませんが、プロレスは大好きです」