新年一般参賀('25年1月)での愛子さまと兵庫県の地元関係者の話に耳を傾ける雅子さま('25年1月16日)

 '95年1月17日、午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災。国内で初めて震度7を記録し、6400人以上の命が失われ、全壊と半壊した家屋の合計はおよそ25万棟に上るなど、戦後初の大都市直下型地震災害として多くの教訓がもたらされた。

 今年、震災から30年の節目を迎え、天皇、皇后両陛下は17日に行われた追悼式典に参列された。

被災者の言葉に深く頷いた天皇陛下

「陛下は“被災されたみなさんが、困難な現実を前にしながらも互いに励まし助け合い、懸命に前へ進もうとする姿は、今もなお脳裏に深く刻み込まれています”などと追悼の言葉を述べられました。震災から30年が経過し、当時の状況を知る人は減っています。犠牲になった方々を弔うとともに啓発活動の一環としても、追悼式典は意味を成すと思います。両陛下もそうした心持ちなのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

 追悼式典の前日、両陛下は地元関係者と懇談された。『NPO法人多言語センターFACIL』の設立代表者で、武庫川女子大学教授の吉富志津代さんは、両陛下との交流を振り返る。

「日本で生活する外国人が必要とする情報の翻訳や生活するうえで必要な通訳、地域の多言語環境を促進する活動などについてご説明しました。陛下からは“大切なことをしていらっしゃるんですね”と声をかけていただきました。雅子さまは“当時はご自身も大変だったでしょう”と、私も被災者であることに気を配ってくださり、温かい言葉をかけていただきました」

 同日、障害者とともに創作活動をしている支援福祉団体『100年福祉会(片山工房)』理事長の新川修平さんは、自身の被災状況を両陛下に説明した。

「私は自宅が全壊になったので、半年以上、避難所での生活が続きましたが、“炊き出しの炎が明日をつくってくれました”と両陛下にお話ししました。炊き出しのときは、職業や年齢、肩書もバラバラで、障害のある人も関係なく、みんなで一緒に同じ釜の飯を食べるのです。

 そのとき、誰もが同じ目線で懸命に一日を生きていることを実感しました。この出来事は今の私の原点になり、“障害者である前に人である”という考え方が芽生えました。両陛下に“みんなが同じ目線で物事を見ることができる社会づくりに貢献したいと思っています”と話すと、深く頷いてくださいました」

『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務めるつげのり子さんは、式典における雅子さまの印象について、次のように語る。

「'95年のときは震災直後だったので、雅子さまは伏し目がちで悲しげなご様子でしたが、今回は震災から30年ということもあり、前を向いて背筋を伸ばしながら、関係者の方々と接していらっしゃいました。神戸の街の復興が目に見えて進んでいて、未来に希望がつながっていると実感されたのではないでしょうか」

日本赤十字社も6000人もの救護班を

 これまで追悼式典は、在位中だった上皇ご夫妻が、10年ごとの節目にご出席。陛下は皇太子時代、震災から1年、5年、15年の式典に参列されたが、お代替わり後は初めてのご出席となった。つげさんは、'10年の追悼式典の雅子さまのお気持ちについて、こう分析する。

「震災から3日後、当時皇太子ご夫妻だった両陛下は中東諸国への訪問が決まっていました。直前に震災が起こったものの、政府の方針で変更できない状況でしたから、後ろ髪を引かれる思いで出国されたことでしょう。

 その後、'10年の、阪神・淡路大震災から15年の追悼式典の際、雅子さまは適応障害で療養中でしたが、ご本人の強い希望で出席されたのです。出席を希望された背景には、発災当時すぐに被災地へ駆けつけることができなかったという悔恨の思いもあったのではないでしょうか。このときの追悼式典では、子どもたちの合唱に涙ぐまれ、ハンカチで涙を拭われている姿がとても印象に残っています

'10年1月、当時皇太子ご夫妻だった両陛下は阪神・淡路大震災から15年の追悼式典に出席され、祭壇に献花された

 阪神・淡路大震災が発生した’95年は“ボランティア元年”と呼ばれ、震災から1年間で延べ約130万人と数多くの市民ボランティアが駆けつけた。現在、愛子さまが嘱託職員として勤務されている『日本赤十字社(以下、日赤)』は、発災当時、全国から救護班を派遣、救護人数は約6000人に及んだ。

「赤十字ボランティアも発災当日から炊き出しや救援物資の搬送、救護班への同行支援などの活動に従事しました。震災後も啓発活動に励んでいて、昨年は阪神・淡路大震災に関する認知や意識についてのアンケートを実施。

 震災を経験していない若年層は地震そのものを知らなかったり、被災規模についての認知度は低い傾向に。自分がそうした被害に遭った際、どのように行動すべきかを学ぶためにも、過去の災害を知ることはとても重要です。今回のアンケートをきっかけに“日頃の備えに対する意識を高めてもらおう”という狙いもありました」(日赤関係者、以下同)

雅子さまから愛子さまに受け継がれる「バトン」

 愛子さまが所属する青少年ボランティア課は、災害時のボランティアに関する資料を作成している。

「阪神・淡路大震災のときは、ボランティア希望者が殺到した場合の窓口業務や人員の振り分けなど、ボランティアへの対応や活用にも多くの課題が見つかりました。青少年ボランティア課では、安全で安心なボランティア活動を行うための注意点などを広めるチラシを作成しています。

 阪神・淡路大震災の発災当時、愛子さまはまだ生まれておらず、被害規模を想像することは難しいと思いますが、愛子さまが所属される部署はボランティアグループの育成や普及、研修なども行う部署です。もちろん当時の被災状況については十分に学ばれていることでしょう

 前出の皇室ジャーナリストは、愛子さまは雅子さまからも被災状況について学ばれているのではと話す。

'25年1月17日、阪神・淡路大震災から30年が経過。両陛下は追悼式典に参列された

「昨年、日赤に就職され、ボランティアに携わる部署に配属されたわけですから、災害地域への意識はより高まっているはずです。震災から30年という節目ですし、ご両親に阪神・淡路大震災について、いろいろとお聞きになったのではないでしょうか。雅子さまは、これまで何度も被災地に足を運ばれていますし、阪神・淡路大震災だけでなく、愛子さまが生まれる前の災害についての話もされているかもしれませんね」

“国民の中に入り、国民に寄り添う”令和の皇室を体現される雅子さま。慈しみのバトンは脈々と次の世代に─。


つげ のり子 西武文理大学非常勤講師。愛子さまご誕生以来、皇室番組に携わり、現在テレビ東京・BSテレ東で放送中の『皇室の窓』で構成を担当。著書に『素顔の美智子さま』など