2月10日、風花が舞う新潟県新潟市─。市内にある市立入舟小学校の体育館で、ある催しが行われていた。新設される小学校の新しい校歌のお披露目会である。
何台ものストーブが置かれた体育館には、380人の小学生と保護者、教師、教育関係者たちがいた。
小学生は、市内にあった「入舟」「湊」「豊照」「栄」の小学校の児童たち。少子化の波は、この新潟市にも押し寄せ、4つの小学校が統合し、この4月から「日和山小学校」として新しいスタートを切ることになったのだ。
新たな小学校には、新たな校歌が欠かせない。その校歌の作者として白羽の矢が立ったのは、新潟市、それも統合される栄小学校出身の歌手・小林幸子(61)だった。高らかなピアノの前奏に続いて、体育館に子どもたちの高らかな歌声が響く。
〽うれしいときも かなしいときも
心を映す 日本海
希望を胸に手を取り合える
友達にありがとう
みんなに幸せ スマイルで
元気あふれる 日和山
10歳で歌手デビューした小林は、小学校4年まで栄小学校に通っていた。
そもそも彼女に、作詞作曲をお願いしたいという声をあげたのは、地域の住民たちだった。その声を受け、新潟市の篠田昭市長が親交のあった小林に打診してみたのだ。
小林が言う。
「最初はホントに私でいいのかな、と思いました。それも歌謡曲じゃなくて校歌でしょ。でも、市長の話からしばらくして正式に依頼されたときは、生徒さんだけじゃなく、親御さんも歌えるような校歌にしようと張り切ったんです」
メロディーはすぐに浮かんできた。しかし、歌詞には子どもたちにふさわしい言葉を選ばなければならない。新潟市の教育委員会は、子どもたちに「新しい小学校はどうなってほしいか」というアンケートを行い、その結果を小林に伝えた。
「私自身の小学校時代の思い出も生かされています。友達と些細なことでケンカしたときなど、よく日本海を眺めていました。そして海が〝素直になれよ〟と言ってくれた気がして仲直りできたことなんかを思い出していたんです」
校歌斉唱が終わり、小林がマイクに立つ。
「鳥肌が立ちました。そしてうれしかった。今のみなさんの歌声を聴いて安心しました。素晴らしい日本、素晴らしい新潟、そして素晴らしい日和山小学校。この学校のみんなが誇りを持ってこの歌を歌い続けていってくれたら、こんなに幸せなことはありません」
会の終了後、篠田市長にも感想を聞いた。
「3番の歌詞の『ふね入るみなと 豊かに栄え』というフレーズはうれしかったですね。統合で消えてしまう「入舟」「湊」「豊照」「栄」の名前を盛り込んでくださって。この4つの小学校のことを子どもたちは歌うたびに思い出してくれる。また、お父さんやお母さんも卒業した学校に思いを寄せてくれるでしょう。子ども時代のさっちゃんの思い出も素晴らしい。さっちゃんらしい『スマイル』という言葉も心に響きますね」
歌手・小林幸子の「挫折と栄光」
〽無理して飲んじゃいけないと
肩をやさしく抱きよせた
おそらく、日本国民の中高年のほとんどがこの曲を口ずさめるに違いない。
’79年の小林幸子の大ヒット曲『おもいで酒』である。200万枚という驚異的なセールスを記録したこの曲をきっかけに、歌手・小林幸子は一流歌手の仲間入りを果たし、その年の暮れには紅白初出場、「全日本有線放送大賞」グランプリ、「第21回日本レコード大賞」最優秀歌唱賞を獲得した。しかし、そこに至るまでには長く暗い道程があった。
それは、まさに昭和歌謡ドラマそのものだった。
新潟市内に生まれた歌が大好きな娘は1963年、小学4年生のときに、テレビの視聴者参加型の歌謡・ものまね番組に参加し、グランドチャンピオンとなる。そして審査委員長の作曲家・古賀政男にスカウトされ、翌年、『ウソツキ鴎』でデビュー、いきなり20万枚の大ヒット作となった。
"天才少女歌手""美空ひばり二世"と呼ばれ、歌手としてだけでなく、映画やドラマの子役としても活躍。
しかし、デビュー曲以降、ヒット曲に恵まれず、15年もの間、不遇の時代を送る。10代の少女がたったひとり、全国各地を回り、地元のラジオ局やレコード店、有線放送局などでキャンペーンを行い、夜になると飲み屋やキャバレーに年齢を偽って出演。酔客を相手に歌い続ける日々を送った。
ところが。小林25歳、28枚目のシングルレコードのB面だった『おもいで酒』が、有線放送から徐々に火がつき、ついにはミリオンセラーを記録したのである。その後も、『とまり木』『雪椿』などの大ヒット曲が続き、’87年には、大手芸能事務所から独立し、個人事務所の「幸子プロモーション」を設立する。
勢いは止まらなかった。2000年には、レコード大賞「美空ひばりメモリアル選奨」受賞。’04年は紅白歌合戦で大トリを務め、’05年、日本レコード大賞「制定委員会特別表彰」受賞、’06年、「紺綬褒章」受章……。
一方で’97年、テレビアニメ『ポケットモンスター』のエンディングテーマ、翌年には『劇場版ポケットモンスター』の主題歌を歌った。ヒット曲とともに、日本中の話題を集めたのが、紅白での豪華衣装だった。
’90年代以降は、しだいにその衣装は「装置」と化し、ワイヤーで吊り下げたり、特殊リフトで上昇したり、大量の電飾を使ったりと、仕掛けは年を追うごとに大がかりなものとなり、巨大化の一途をたどった。そして「小林幸子の紅白の衣装」は、年末の風物詩とさえ言われるほどになっていったのだ。
取材・文/小泉カツミ