吹き荒れたバッシングの嵐
2012年4月─。小林はある決断をした。それは、個人事務所になって25年、それ以前を入れると33年間ビジネスパートナーだった事務所社長と専務のふたりとの別れだった。
それを機に、テレビのワイドショーや週刊誌で小林バッシングが巻き起こる。原因のひとつとされたのが、前年に結婚した小林の夫が、小林の活動に意見するようになった、ということだった。
このお家騒動に、芸能界でも賛否両論の意見が飛び交い、また小林が友人に送ったメールの内容が暴露されるなど、泥沼化していった。
"芸能界のオキテ破り""恩を仇で返した……"。そして小林に向けたバッシングは、具体的にその姿を現していく。新曲の発売が無期限延期、レコード会社とは契約解除。そして、33回連続出場してきた紅白落選─。
「ありもしない話がまことしやかにどんどん流れていった。本当に悔しかった。紅白に出場できなかったことよりも、そんなふうになってしまったことが悔しかった。芸能界特有の洗礼とでもいうんでしょうか。50年間近くやってきて、初めて受けた歪んだ洗礼……」
と小林は言葉を濁す。
小林のスタッフ歴26年になる幸子プロモーションの取締役統括本部長・山村直暉(49)が言う。
「長年連れ添った夫婦が離婚するとき、それぞれいろんな理由があると思います。どこかで価値観の違いが出てきてしまったのかもしれません。小林は自分を高めたい、もっとこういう表現をしたいという思いが絶えずある。一方で、そちらに比重がかかってしまうと運営がおろそかになる。そのバランスが崩れているのは、僕らも感じていました」
そのアンバランスが、小林には我慢できなかったのだ。
「私が生きている中で優先順位が変わってきていた。まだ経験していない世界にも進んでいきたい、表現者としてクリエーティブでありたい」
そのやりたいものの頂点が、昨年11月に行われた日本武道館コンサート『50周年記念小林幸子in武道館~夢の世界~』だった。
「私のデビュー直後にビートルズのコンサートが武道館でありました。そのときから、武道館での単独コンサートは夢でした。以前の環境の中では、たぶんできなかったでしょう。─でも、事務所スタッフ、コンサートスタッフは以前と変わっていないんです。それが、今はっきり言える私の答えなんです」
"ラスボス" 幸子が降臨!
今、小林幸子は、一部のファンから「ラスボス」という別名で呼ばれている。「ラスボス」とは、「ラスト」の「ボス」、つまり「最終の敵役」という意味だ。
RPGの格闘ゲームなどで対戦をする敵の中で、最後に出てくる最強の存在。ゲームに熱中する子どもたちなら誰でも知っている言葉だ。小林のスタッフを13年務める三上紀子(40)が言う。
「そう呼ばれていると知ったのは、ほんの数年前ですが、もっと前から、インターネットの中では、小林はラスボスと呼ばれていたようです。それこそ紅白が終わると"今年のラスボス見た?"などと話題になっていたみたいです」
紅白歌合戦に出演する小林の豪華絢爛、巨大な衣装が、ゲームの最後に登場するラスボスの姿を彷彿とさせたのだろう。また、「紅白でラスボスを見ると試験に合格する」などという都市伝説が、若者たち、それもネット世界で繰り広げられていたのだ。
大人の見えないところで、小林幸子は、独特の解釈をされていたのである。
ニコニコ動画というネットサイトがある。これは、ドワンゴが設立した動画共有サービスで、最大の特徴は、配信される動画の画面上に、リアルタイムでコメントを書き込めるユーザー参加型であること。一般会員登録者数4500万人を超え、有料会員も約240万人という急成長のサイトで、多くの新語や文化を生み出している。
このメディアで、小林幸子は"超"がつくほどの有名人となっていたのだ。
2012年、小林はニコニコ動画の番組にゲスト出演した。そのとき、司会者は「小林さんはラスボスという名前でみんなに呼ばれているんですけど、ラスボスって呼んでもいいですか?」と恐る恐る本人に聞いてきた。「ぜんぜんオッケーですよ」と小林が答えた途端、画面には「おおおおお、ラスボス降臨!」「すげーーーーーーー!」「きたーーーーーラスボス降臨!! wwwwwww」などという、おびただしい数のコメントが一斉に流れたのだ。「登場」ではなく「降臨」。
小林はもはや"神"なのだ。「でも、放送が終わってからスタッフに"ラスボスって何?"って聞いたんですよ」と小林は笑う。
その年の暮れ、ニコ生カウントダウン(ニコニコ動画の生放送)に動画コメントで参加した。
「この映像には僕らも驚きました。収録したドレス姿の小林の映像が加工されて、何百人も出てきたり、顔が大きくなったり小さくなったり、演出がものすごかった。この映像を見ている人が何十万、何百万人といたことも驚きでした」と山村が打ち明ける。
さらに、翌’13年4月に幕張メッセで開催された『ニコニコ超会議』のライブステージに、小林は大型衣装で登場、観客を熱狂させた。主催したドワンゴのクリエイティブ・プロデューサー、阿部大護(33)が言う。
「もともとラスボスとして親しまれていた小林さんが、生で登場したことに会場は大興奮でした。それまで遠い存在だったラスボスが、自分たちの遊び場に降りてきたという感覚でしたね」
そして、ステージで小林は『風といっしょに』という曲を歌った。これは’98 年に公開されたアニメ『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』の主題歌である。ゲームソフトのシリーズや、アニメなどの多くの作品で一大ブームを巻き起こしたポケモン。
小林が感慨深げに語る。
「歌が始まった途端、会場はしんと静まり、私の歌を少しも聴き逃すまいとするんです。若い子たちが涙を流しながら聴いてくれていました。こんな世界があるんだって思いましたね。私が手を左右に振るとそれに合わせて観客全員が手にしたサイリウムを一斉に振る。一糸乱れずに」
画面には、ユーザーの感動のコメントが流れる。
ラスボス幸子降臨wwwww
ラスボスうまいなwwwww!
泣けてきた ラスボスじゃなくて女神だろーーーー!
会場にいた世代のほとんどは’98年当時、小学生だったであろう。ポケモンで育った世代がその主題歌に懐かしさを感じ、涙したのだ。「ラスボス」誕生の陰には、ポケモンというバックグラウンドがあったのである。
ニコニコ動画に興味を持った小林は、今度は自分でも投稿。ニコ動のテーマ曲をカバーすると、2日で100万回再生という最短記録を樹立。さらにボカロ(ボーカロイド/音声合成技術で作られた歌声)の名曲『千本桜』を小林がカバーし、ニコニコ動画の年越し番組で歌ったところ、一瞬で80万回再生を記録する。
’14 年夏には、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケット(通称コミケ)に、一般の参加者に交じり小林も参加、自らブースに立ってミニアルバムCDを手売り販売した。それを求める客は、1キロ以上の列をなし、限定1500枚のCDは2時間40分で完売した。前出の阿部が言う。
「ニコ動、そしてコミケというリアルな場に登場することによって、小林さんの存在は頂点をきわめた。そして、観客たちは"ラスボス"のあまりにすごい歌声を目の当たりにして、ますます神話性を高めることになったんです」
取材・文/小泉カツミ