《キャンバスに夢中になりて描きゐしかの日のことはなほあざやかに》
1月22日、新年恒例の皇室行事である『歌会始の儀』が行われた。“夢”というお題に対して、昔を懐かしむ和歌を詠まれたのは、秋篠宮家の次女・佳子さま。
歌人2人に佳子さまの和歌について聞いた
今年、一般から応募された和歌の数は1万6000首を超えた。その中から優れた作品を選考する“選者”を務めた『山梨県立文学館』の三枝昂之館長は、佳子さまの歌を次のように解説する。
「佳子さまの歌は“いとおしむ”という特徴があります。昨年詠まれた《待ちわびし木々の色づき赤も黄も小春日和の風にゆらるる》は、季節の移ろいに従う木々の営みを愛で、今回は過ぎ去った時間をいとおしんでおられると思います。
注目すべきは“かの日々のことは”ではなく、“かの日のことは”と、ある特定の日に絞った点です。その日に特別な思いがあったのでしょうね。佳子さまにとっての“こころの記念日”だったことを示していると思います」
『歌林の会』に所属する歌人の梅内美華子さんは、佳子さまの和歌は余白があると指摘。
「“なほあざやかに”という表現の後、一般的には“胸にある”や“思い出される”という表現が入りますが、その言葉を省略することで、余韻が出ています。私たち読み手に想像させるような空白がある歌い方がお上手だと思いました。ほかにも、キャンバスに描いた絵と描いたころの思い出のふたつの事柄に“あざやかに”がかかっているとも捉えられます」
過去を回想する歌を詠まれた佳子さまは1月9日、『ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―』に足を運ばれた際にも、自身の思い出について明かされた。
「作品を見て、とても喜ばれておりました。工芸への理解はもちろんのことですが、ポケモンへのご理解があることもわかり、うれしかったです。中でも“技を繰り出して(ポケモンを)捕まえたりしました”とおっしゃっていたことは印象的でした」(株式会社ポケモン代表取締役社長・石原恒和さん)
新年から精力的に公務にお出ましになっていたが、『歌会始の儀』の2日前、珍しいことが起こった。
佳子さまから漏れ出た弱音
「この日、佳子さまが5年連続で参加されてきた『聴覚障害児を育てたお母さんや家族をたたえる会』が開かれたのですが、そこに佳子さまのお姿はなかったのです。『全国高校生の手話によるスピーチコンテスト』や『ドレミファダンスコンサート』など、佳子さまが、毎年決まって出席される行事が存在します。令和になって紀子さまから引き継いだ今回の行事も、欠かさず臨席されるもののひとつだったので、今回の欠席には驚きました」(皇室ジャーナリスト)
参加者の中には佳子さまの手話を楽しみにしていた人も多かったという。
「昨秋ごろ、宮内庁から“参加が難しくなりました”と連絡がありました。今年、参加されたみなさまは“佳子さまのきれいな手話を楽しみにしていたから残念だった”と口をそろえていました。手話がとても流暢で、回を重ねるごとにお上手になられているとお見受けしておりますので、今年もぜひ参加していただきたかったです」(『聴覚障害児を育てたお母さんや家族をたたえる会』の関係者)
佳子さまにいったい、何が起こっているのか─。ある秋篠宮家関係者は“微笑みのプリンセス”が吐露した胸の内を明かす。
「昨年の夏ごろでしょうか。佳子さまは“皇族としての責務を果たせているのでしょうか……”と自責の念にかられ、弱音を吐かれていたのです。国民の前では、いつも笑顔で気丈に振る舞われていたので、そうしたネガティブな発言には大変驚きました」
昨今、悠仁さまの大学進学を巡る反対署名活動が起こったり、姉である子さんの夫・小室圭さんの母・佳代さんが突然、自伝本を出版するなど、秋篠宮家の周辺は以前から変わらず忙しない。佳子さまの心中も一層複雑になっておられるだろう。
佳子さまが詠んだ和歌の意味
「昨年末に節目の30歳を迎え、ご自身の結婚についても考えておられることでしょう。ただ、国民から一挙手一投足をチェックされ、結婚相手や結婚行事で支出される金銭面など、何かしらの批判は出てくると思います。ご家族のためにも、何が最善の選択なのか、悩まれているのは想像に難くありません」(前出・秋篠宮家関係者)
皇室制度に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授は、そうした佳子さまの心情が今回の和歌に表れていたと話す。
「“かの日のことはなほあざやかに”とありますので“過去の日が、まざまざと記憶の中にある”という意味でしょう。“昔のよかったこと”を思い出し、かつ“昔は”よかったという心情も含んでいるのではないでしょうか。結婚に関しても、幼少のころはお好きな方と結ばれて皇室を離れるという未来を夢見ておられたのだと思います」
しかし、悠仁さまのご誕生も相まって、佳子さまが懐かしまれた昔の情景は一変することになる。
「悠仁さまがお生まれになった後は、より強く皇位継承問題とも関わるようになり、幼少のころに描いていた未来予想図とは、異なった人生行路になったと思われます。皇嗣家の次女としての自覚と行動も国民から期待されるようになりました。自らの力で思うように未来を描くことができない状態の中、過去の良き日々を顧みることは自然な感情なのではないでしょうか」(小田部名誉教授、以下同)
ただし、佳子さまが吐露された“本音”を前向きに捉えることもできるという。
「国民あっての皇室であることを前提に考えると、なぜ、秋篠宮家への評価が悪化しているのか、その原因を見つめ直し、再考する不断の努力も必要なのだろうと思います。
その意味では、皇族としての責務遂行に弱音を吐かれ、自己の行動を省みられておられるのは、悪化した評価を改善するための第一歩と捉えることもできます。とはいえ、佳子さまだけの努力では必ずしも乗り越えられない大きな壁に直面し、“袋小路”に入ったような苦しみを重ねておられるのかもしれません」
日々、重責を感じ、憂悶される佳子さま。思い悩まれた先に風向きを変える“一手”が生まれるかもしれない。
小田部雄次 静岡福祉大学名誉教授。日本近現代皇室史を専門とし、『皇室と学問 昭和天皇の粘菌学から秋篠宮の鳥学まで』など著書多数