「妹は、もう中森家とは関わりたくないのかな……」
男性は週刊女性記者に向かってそう、ポツリと呟いた─。
中森明菜が2022年8月に再始動を宣言してから2年半がたつ。ゆっくりと、だが確かな足取りで復活への歩みを進めている。
「2023年には『北ウイング』のセルフカバー楽曲をリリースし、同年末にはYouTubeチャンネルを開設しました。2024年には、過去楽曲をJAZZバージョンで新録した歌唱動画を次々と公開しています。2024年7月と12月には、ファンクラブ限定イベントを開催し、人前に姿を見せて生の歌声を披露しました。今年4月には、大分県で開催される野外音楽フェスに出演する予定ですから、歌姫の完全復活は秒読みでしょう」(スポーツ紙記者)
しかし、その裏で、長きにわたって紡がれてきた家族の歴史が、ひとつの節目を迎えていた─。
冒頭で語っていたのは、明菜の3つ上の実兄。明菜とは約30年間、会っていない。
「最近は元SMAPの香取慎吾さんとコラボをするなど、すごいですよね。テレビのワイドショーで知って、うれしい気持ちになりました。頑張っているんだなって」(明菜の実兄、以下同)
昨年末に明菜の実父が他界していた
明るく話すが、昨年末にある不幸があった。
「父が、2024年12月14日に他界しました」
明菜の父親である明男さんは、散歩中に転倒して骨折し、2021年末から入院生活を送っていた。
「父親は退院後、埼玉県内にある介護付き老人ホームに入居しました。しかし、誤嚥性肺炎などを繰り返し患い、みるみる衰弱していったんです。2024年11月下旬には都内の病院に入院し、そこで眠ったまま息を引き取りました」
中森家は両親を含めて8人家族で、明菜は6人きょうだい(2男4女)の5番目として生を享ける。家族を養うため、明男さんはかつて、東京・大森で精肉店を営んでいた。
「厳しいけど、根は優しい愛情深い人でした。私が小さいころは、牛の半身を担いで冷蔵庫から出し入れする父の姿を見て、ギリシャ神話に出てくるヘラクレスのようだと思っていました。でも今回、焼き場で骨を拾った際は“骨もこんなに細くなっていたんだ”と家族で話しました。みんな“あんなに逞しかった人が……”と思ったはずです」
そこに明菜の姿はなかった。関係者を通じて連絡したが、何の返答もなかったという。
明菜と最後に会ったのは、1995年に母・千恵子さんが亡くなる前日か、その葬儀だったか、長い月日がたち、あいまいだ。だが、明菜と中森家との断絶は、最愛の母の死後に始まる。その理由について、実兄はこう説明する。
家族を断絶させた「明菜のカネ」の真相
「明菜は“家族が私の稼いだお金を使い込んだ”と思っているのでしょう」
1982年5月、16歳でデビューした明菜は、瞬く間にトップスターへと駆け上がり、莫大な収入も得たという。絶頂期だった1987年、明菜は約1億円の借り入れをして、埼玉県内に地上3階建てのビルを建設。明菜の父親や兄たちは、ここで飲食店を開店させる。当時を知る関係者には、
「家族が開店資金などに明菜の金を使い込んだはずだ」
と話す人もいたが、これを実兄は真っ向から否定する。
「ビル自体は明菜のお金で建てましたが、土地の権利はもともと父が持っていたんです。芸能の仕事は、いつどうなるかわかりません。心配だった父は、歌手の仕事がなくなっても、家賃収入で生活できるようにと建てたのです。飲食店の開店資金は、父方の遺産を充てました。だから、明菜の思っているような使い込みはありません。ただ、明菜とは連絡が取れませんから、誤解を解くこともできないでいます」(前出・実兄、以下同)
このビルは、明菜の税理士から家族へ連絡があり、2005年に売却された。その後も本人と直接、連絡を取ることはできず、2019年に肝硬変で急逝した妹・明穂さんの葬儀にも姿を見せなかった。それでも明男さんは、ずっと明菜のことを気にかけていた。
「父は“ビルを売ってしまって、明菜は大丈夫なのか”と、たびたび話していました。最近は明菜の活動再開について姉から聞いて、喜んでいたようです。ただ……」
ひと呼吸置き、続ける。
明菜がひそかに養子縁組した相手
「昨年の夏、必要があって姉が父の代わりに戸籍謄本を取得したそうです。そこで明菜が養子縁組をしていたことを知りました。それを聞いた父は“何でこんなことを……”と、そうとうなショックを受けていました」
そして実兄は、冒頭のように複雑な胸中を語ったのだ。
過去の報道によれば、明菜は千恵子さんが亡くなった1995年ごろ、中森家の戸籍から抜けて“分籍”という手続きをした。ただ、これは戸籍を分割するだけで、法律上の親族関係に変化はない。また普通、養子縁組をしても、実親との親族関係は継続する。となると、これは“中森家への拒絶”を示す、明菜の決意表明なのではないか。養子縁組をした相手は、誰なのか。
「明菜が所属していた事務所の社長だった男性の姉です」
その人物こそ、所属事務所『HZ VILLAGE』の代表取締役を務める女性だ。
「この女性は、明菜さんが所属していた前事務所の社長で恋人とも囁かれた男性の姉。前事務所でも、取締役に名を連ねており、長きにわたって明菜さんを支えてきた人物です」(前出・スポーツ紙記者)
所属事務所『HZ VILLAGE』は、2022年8月に設立されたが、当初は明菜が代表取締役。それがデビュー42周年を迎えた2024年5月1日、明菜が代表を辞任して、この女性が代表の座に就いた。
養子縁組をすれば姓が変わることになり、会社登記の変更も必要になる。2024年7月にイベントを控えていた明菜は、復帰ステージへと立つ前に“中森家と永遠の訣別”を決めていたのか─。
思いを馳せる時間をつくってもらえたら
確認のために、所属事務所に問い合わせたが、期日までに回答はなかった。
30年間、会えなかった娘は、中森の姓を捨てた。その悲しき事実を知ったわずか数か月後、父・明男さんは他界した。そんな明菜に向けて、前出の実兄が語る。
「実家や遺骨がある場所に来なくてもいいので、明穂と父について、手を合わせるとか、少しでも思いを馳せる時間をつくってもらえたらと思います。やっぱり、ルーツというか……父がいなければ、明菜は生まれていなかったわけですから」
実兄は、こうも続ける。
「今も明菜が活動を続けられていることをうれしく、兄として誇らしくも感じます。明菜も今年で還暦ですから、無理をせず、身体を大事にしてほしい。コンサートを開催するようになったら、見に行きたいと思っています。兄として、ずっと応援していきたい」
明男さんの遺骨は、遺言に従い散骨する予定だ。