《彼は私に「おっとりしたお嬢さん」という印象をもっていたようです》(『ブランニューデイ あたらしい日』より抜粋)
2月6日に発売予定の小室佳代さんによる自伝エッセイ本を『週刊女性PRIME』は独自に入手。小室佳代さんがこう綴る“彼”というのは、亡き夫・敏勝さんについて。若き日の敏勝さんは佳代さんを“おっとりしたお嬢さん”と感じたようだが――。
小室佳代さんに対して世間が抱いたイメージ
「世間が知る佳代さんのイメージとは異なるのではないでしょうか。佳代さんは'17年、自身と元婚約者との400万円を超える金銭トラブルが報じられています。このことがきっかけで、秋篠宮家の長女・眞子さんと、自身の息子である圭さんの結婚は延期になるなど、異例の騒動に発展したのです。
騒動以降、佳代さんの人柄や過去に大きな注目が集まり、元婚約者以外の恋人の存在や、圭さんに自身を“お母さま”と呼ばせるなどが報道によって露見。世間は彼女に“おっとり”とはかけ離れた印象を抱いたように思います」(皇室ジャーナリスト、以下同)
特に敏勝さんの死を巡る報道に、ネット上では敏勝さんを同情する声が相次いだ。
「敏勝さんは圭さんが小学校5年生の時に他界しています。この時、敏勝さんには2つの悩みがあったそう。1つは勤務していた横浜市役所で部署異動があり、希望の部署に配属されなかったことと、新しい上司との折り合いも悪かったことだといいます。もうひとつは、佳代さんと敏勝さんの母との間で嫁姑問題が生じ、その仲介をしていたことで、心身ともに疲れてしまったのだそう」
嫁姑問題の発端は、佳代さんの“二世帯住宅計画”だったと言われている。
「圭さんが小学生の頃、佳代さんは東京都八王子市に自身の両親との二世帯住宅の購入を計画していました。敏勝さんはそのための資金集めに奔走しており、自身の実家に援助を頼んだといいます。しかし、佳代さんは内装などへのこだわりが強く、当初の予算を大きくオーバーしてしまったそう。
これがきっかけで、敏勝さんの母は佳代さんへ不信感を抱くようになります。結局、資金援助が得られなかっただけでなく、敏勝さんは自身の実家との縁が切れてしまい、精神的に参ってしまったそう。この件が小室家の親族の証言によって報道され、佳代さんの言動が、敏勝さんを追い詰たのではと指摘されるようになったのです」
この報道で、佳代さんには「夫を支配していた」とのイメージが定着。しかし、佳代さんはエッセイで次のように綴っている。
「夫の考えに寄り添ってきた」
《私たちの生活が一変したのは2002年の早春でした。この頃、一級建築士の資格を持つ夫は、彼の実家の敷地内に私たち家族の家を建てることに希望を見出していました。(中略)しかし、地鎮祭を迎えることなく彼は亡くなりました》(『ブランニューデイ あたらしい日』より抜粋、以下同)
また、佳代さんが現在も住んでいる横浜市内のマンションについても、
《圭が2歳の時に夫は東急東横線沿線のマンションを購入しました。私はTシャツで過ごせる気楽さから、地元湘南辺りの賃貸物件が良いのでは?と提案しましたが、東横線沿線は閑静な街並みが多くて住みやすいという夫の意見を尊重しました》
と綴り、住まいに関してもあくまで夫の意見を尊重していたことを明かしている。
エッセイ内では、佳代さんの夫との出会いやエピソードが赤裸々に記載されていて、その多くは“敏勝さんの自由な考えに任せてきた”というものなのだ。実際に同本では、
《「自由でいいんだよ。人生にはこれという正解はないから。やりたいようにやればいい」夫はいつも圭や私にそう言いました。けれど、夫には夫の考えがしっかりとあり、彼の考えに寄り添っていけば安心、と思わせてくれるものでした》
と、敏勝さんとの具体的なやり取りや、その際に感じた佳代さんの心情が綴られている。
佳代さんはこのエッセイ本で、自らの金銭トラブルや結婚騒動についてはほとんど言及していない。佳代さんが真に伝えたかった事とは上記の弁明ではなく、「夫を追い詰めたのは自分ではない」ということ、「夫の考えに寄り添ってきた」という“おっとりした女性”像だったのかもしれない。