友永綾美さん

 和太鼓や篠笛、舞など、音と演出の多彩なパフォーマンスで魅了する、和楽器アーティストの友永綾美さん。モデルの仕事をしていた20代のころに結婚し、娘を出産。和太鼓を習い始めたのは、離婚してシングルマザーになった26歳のころ。これまで20年以上、アーティスト業と母親業を両立し、多忙な毎日を送ってきた友永さんが、ふと触った左胸に異変を感じたのは50歳のときだった。

ふと触った胸のしこりが難治性乳がんだった

「2019年の夏、寝ながら胸に触れたらアンダーバスト付近に大きなニキビのようなできものがあったんです。ポコンとしたふくらみで、押すと少し痛い。ちょうどそのころ、親戚が胃がんで亡くなったと聞いたばかり。乳がん検診をそれまで一度も受けたことがなかったので、『がん』の2文字が頭をよぎりました。でもまぁ大丈夫だろうと気楽に考えてしまったんです」

 そのまま数か月が過ぎ、冬になると1・5センチほどの横長のしこりになっていた。かかりつけ医に相談すると、すぐに乳腺外科の受診をすすめられ、後日、マンモグラフィーとエコーで検査。悪性腫瘍と診断される。

「わかった瞬間は『うわー、終わった……』と思いました。親戚も知り合いも若くしてがんで亡くなった人がいるので、死を想像してしまって。現在35歳の娘と一緒にアーティスト活動をしているのですが、がんになったことを言い出せなくて。手術の1週間前にようやく伝えたら、相当ショックだったのか無言のまま涙を流していました」

 年明け1月、左胸と転移のあったわきの下のリンパを摘出。病理検査の結果、友永さんの乳がんは「トリプルネガティブ」タイプで、細胞の増殖スピードが速く、悪性度の高いことがわかった

「詳しい検査の結果、遺伝性ではないことがわかり、娘には影響する可能性が少なく安心しましたが、私って昔から何でも悪いほうに当てはまるタイプで……。乳がんのタイプを聞いたとき、やっぱりそうきたかと思いましたね」

 手術後は、抗がん剤投与を8クール、放射線の照射を25日間行い、治療はいったん終了。2020年はコロナ禍で、予定していた仕事はほぼキャンセルとなり、身体を休めて治療に専念できたこと、事前にがん保険に入っていたことも不幸中の幸いだった。

3年後に転移・再発、がんが消えない…

 その後、仕事に復帰して再び日常を取り戻したころ、がんが転移、再発。手術から3年がたったころだった。

「肺と縦隔リンパ、鎖骨付近に転移していることがわかりました。1回目の抗がん剤治療のとき、胃がムカムカして食欲が落ちたり、腰に痛みが出たりしたものの、副作用はその程度で済み、比較的軽かったんです。想像よりスムーズだったので、治療すればすぐまた元どおりの生活に戻れると、完全に楽観視していましたね」

 そんな友永さんの予想は大きく外れてしまう。

「抗がん剤を投与しても前回のような効果が出なかったり、副作用で免疫細胞が減ってしまうため1週間、投与を延期したり薬を減らしたりして、調整が必要になりました。スケジュールどおりに投与できないので、当然消えるべきがん細胞も小さくならない。それどころか、がんが大きく広がっていきました」

 再発後の治療でいちばんつらかったのが、薬の副作用で起こる手足のしびれ。得意としていた篠笛という横笛を奏でるときも、満足のいくパフォーマンスができなくなってしまう。

手のしびれで篠笛の演奏が困難な友永綾美さん。呼吸と指の感覚を取り戻すために自宅でリハビリを続けている

「指がしびれて麻痺してしまい、思いどおりに動かない。笛を吹くとき、穴を触っている感覚がなくて、音が出なくて外してしまうんです。自宅で笛の穴の部分に印を付けてガイドを作り、本番に向けて何度も練習しました。足の指もしびれで感覚がなくなり、赤ちゃんのようなよちよち歩きしかできない。肺への転移の影響で、咳が止まらなくなるときもあり、歌うことも難しくなっていきました」

 細胞の増殖が速く、悪性度が高いといわれた友永さんの乳がん。再発後、複数の部位に転移し、身体をむしばんでいく─。それでも娘と二人三脚でアーティスト活動を続けてきた友永さんだったが、昨年10月、腸壁に穴があく消化管穿孔を発症。救急搬送され、小腸を約15センチ切除する緊急手術となった。

娘を遺して逝けない…もっと時間がほしい

「便秘がひどくてトイレで何分もいきんだ日があったんです。明け方、突然猛烈な腹痛に襲われて救急車で病院に行ったら、危ない状態と言われそのまま小腸の切除手術に。執刀医の先生に『生きて帰れない可能性もある』と言われ、焦りました。娘を見るとバッグを握りしめて涙をポロポロ流している。そんな娘の姿を見て、『絶対にここで死ぬわけにはいかない。生きて帰らないと!』と、母として気合が入りました」

 がんが再発してから、脳や肝臓、膵臓への転移、腹膜播種があることが判明。今回発症した消化管穿孔は、腸から内容物が漏れ、死につながる可能性も高く、医師からは緩和ケアや在宅医療などの選択肢も提示された。

 しかし、そんな医師の予想とは裏腹に、驚くほどの回復力をみせて3週間で退院、現在は自宅に戻り療養中だ。根治の難しいがんを患い、転移・再発・治療をする中で気づいたのは、「患者は受け身ではダメ」ということ。

「私の場合、定期検診でエックス線やCTは撮っていましたが、急に腹痛が起こるまで腸にがんが広がっていることはわかりませんでした。脳への転移も頭痛があってから初めてわかりました。

 だから自分のほうから、例えば『1年たったのでPET検査をしてもらえませんか』などと、積極的に先生にお願いしてみることが大事。後悔をしないために、患者側も受け身でいるのではなく、自分の命は自分で守る意識を持つことが大切だと感じています」

 がん経験者として、同世代の女性にもっとも伝えたいのは、「検診の重要性」と話す。

「がんは早期発見が大事といわれますが、そのとおりだと思います。私は、しこりを見つけるまで乳がん検診に行っていませんでした。“もっと早く見つかっていたら……”という思いは今でもあります。早期なら治療も負担が少ない可能性が高いですし、再発せずに過ごせるほうがいいに決まってる。だから年1回の乳がん検診は女性なら必ず行ってほしいです」

 26歳で始めた和太鼓パフォーマンス。まもなく芸歴は30年を迎える。目標は、娘と共に再び舞台に立つことだ。

「以前のような激しいパフォーマンスは難しいですが、体力が戻ったら、仕事にも復帰したい。複数の転移はありますが、新しい治療法が出てきているので、希望は捨てていません。そのためにも今後、どのような選択肢があるかを先生と相談して、何とか治療をしながら生きていく方法を見つけたいと思っています。娘のためにもあと10年は元気に生きたいですね」

友永綾美さん、1969年生まれ、名古屋市出身。女性和楽器アーティスト集団『和楽-WAGAKU-』代表。娘のMINAや共演アーティストと共に、和太鼓や篠笛、各種打楽器の演奏、舞などのパフォーマンスを行う。

友永綾美さん●1969年生まれ、名古屋市出身。女性和楽器アーティスト集団『和楽-WAGAKU-』代表。娘のMINAや共演アーティストと共に、和太鼓や篠笛、各種打楽器の演奏、舞などのパフォーマンスを行う。


取材・文/釼持陽子