
2022年10月に緩和された、新型コロナウイルス感染症拡大を抑えるための入国制限。水際対策の段階的な解除を受けてインバウンドの数は急増し、2024年には、過去最高だった2019年の約3188万人を大きく上回り、約3687万人を記録した。
全国各地の観光地では、2000年4月の「改正健康増進法」施行以来、分煙環境の整備を進めてきた。路上喫煙も、東京都千代田区で2002年に全国で初めて罰則付きで禁止されてから、各自治体で条例の制定が進み、喫煙者の分煙の意識は高まっている。
しかし、インバウンドの増加によって外国人への条例の周知方法や新たなルール作り、多言語での喫煙所案内の設置など、多くの課題が浮き彫りになりつつある。インバウンドが急増している京都や広島・嚴島神社、長野・松本城や浅草寺付近、奈良公園におけるインバウンド向けの分煙対策について聞いた。
急増する外国人喫煙者に向けてピクトグラムや立て札を設置
京都市では2000年に寂光院で起きた火災によって、本殿と重要文化財である木造地蔵菩薩立像が焼失した。火災の原因がたばことは特定されなかったものの、それ以降、木造の寺社仏閣が多い京都市では分煙対策に注力してきた。
美しい「千本鳥居」で名高く、多くの外国人旅行者で賑わう伏見稲荷大社でも、2024年11月に京都古文化保存協会によって「火気厳禁」「NO FIRE」と記した立て札を新たに設置。しかし、外国人に限らず近隣の駐車場で喫煙している人は後を絶たないといい、千本鳥居も市や神社の力のみで守っていくのは難しい状況のようだ。
火災は、一瞬にして貴重な文化財を失わせてしまう。美しい建築物の歴史や文化を守るためにも、観光地では訪日外国人客への理解を深めるための早急な対応が必要と言えるだろう。

境内を完全禁煙としている広島県・廿日市市の嚴島神社では、かねてより喫煙者への対策として宮島桟橋及びターミナル付近に灰皿を設置。2019年4月1日の「廿日市市公共施設における禁煙等推進条例」に伴って、分煙を徹底するために喫煙所がターミナル外に移動された。宮島内で市が管理している喫煙所は、この1か所だけだ。
「現状はオープンスペースに灰皿が置かれている状態で、喫煙をしないベンチ利用者への受動喫煙の影響が考えられるため、喫煙所の移設を含めた検討がされています」(廿日市市産業部観光課担当者)

嚴島神社への外国人旅行者の訪問者数は、2019年の34万人から2024年には64万人とほぼ倍増したが、現在のところ、喫煙所を巡るトラブルは特に起きていないという。
「外国人旅行者には、宮島桟橋旅客ターミナルで、ピクトサインを用いて境内が禁煙であることをアナウンスしています。また、フェリーの乗降所から宮島桟橋へ向かう道中や、宮島桟橋出口付近にも喫煙所が1か所しかないことを掲示していますが、2025年には動画を使った呼びかけも開始する予定です。今後も、より幅広い層への周知徹底に向けての対策を行っていきます」(廿日市市産業部観光課担当者)

自治体による喫煙所の整備が進む松本城と浅草寺周辺

木造天守の火気厳禁を掲げている松本城では、2023年に本丸庭園の喫煙所を廃止し、松本城公園内の喫煙所は「公園北西隅」のみの1か所に。
「2019年に首里城やノートルダム大聖堂で火災が発生し、貴重な文化財が失われることになりました。かねてより防火と受動喫煙防止の観点から喫煙所の廃止については議論がありましたが、本丸庭園内での喫煙がなくなったことで、火災発生と来場者の受動喫煙リスクを減らすことができました」(松本市松本城管理課担当者)

松本城では、2019年に約15万人だった外国人旅行者が、2024年には約20万人まで増えたが、こちらでも喫煙を巡る大きなトラブルは起きていないという。
「外国人旅行者から喫煙所の所在を質問されることもありますが、禁煙であることの理由をご理解いただくと同時に、喫煙所の表示をわかりやすくするなど、ホームページや園内掲示を工夫して取り組んでいきたいと思っています」(松本市松本城管理課担当者)
対策の一つとして、本丸庭園内のトイレにピクトグラムによる禁煙表示を掲示。世界中から観光客が集まる場所だからこそ、どの言語の話者にも伝わる形で喫煙ルールを提示していくことが今後の課題となりそうだ。
松本城のHPには松本城本丸庭園の喫煙所廃止のお知らせと、新たな喫煙所の案内が日本語と英語で表示されている。

浅草寺などが所在する台東区では、区内に31か所の公衆喫煙所を設置。浅草周辺だけでも7か所の公衆喫煙所があるが、特徴的なのは区が整備した喫煙所の他に、民間業者が区の助成を活用して喫煙所を整備したり、既存の喫煙所を区の公衆喫煙所に指定したりと、行政が民間と協力して分煙対策を実施している点だ。

「台東区では区による喫煙所の整備も行っていますが、用地の確保などの問題があるので、民間事業者が公衆喫煙所を設置する際の設置費用や維持管理費の助成を行っています。民間企業の協力も得ながら喫煙所の整備を行うことで、分煙を図った環境づくりに取り組んでいます」(台東区環境課まちの美化担当者)
台東区では、2023年に442万人もの外国人観光客が訪問。HPでは「日本語」「英語」「韓国語」「繁体字」「簡体字」「タイ語」の6か国語に対応した公衆喫煙所マップを掲載しているが、外国人観光客の増加とともにこのマップの周知を強化する必要性を感じているという。
「区内全域の路上喫煙禁止や喫煙エリアの指定、禁煙時間の指定など、東京23区は各区によって屋外の喫煙ルールが異なります。海外から来る方へは、細かい内容ではなく『喫煙の際は喫煙所の利用を』という呼びかけをしていますが、そのためにも喫煙所の周知は必須。喫煙等マナー指導員が巡回して喫煙所の誘導などに取り組むことによって、喫煙する人もしない人も、共存できる環境づくりに取り組んでいきます」(台東区環境課まちの美化担当者)
奈良公園内を路上喫煙禁止区域に指定も、喫煙トラブルが

奈良市では、2009年より奈良公園の周辺などを「路上喫煙禁止地域」に指定。公園内には、若草山喜多ゲート横、大仏殿前駐車場、奈良公園バスターミナル西棟の3か所に喫煙所が整備されている。
2023年には約184万5千人の訪日外国人が訪れたことを受け、禁煙や分煙をうながす英語と中国語を併記したピクトグラムによる看板も設置。しかし外国人旅行者への喫煙ルールの周知徹底は不十分のようで、路上喫煙や煙草のポイ捨てなどのトラブルも報道されている。
「公園内を路上喫煙禁止区域に指定した後も、喫煙の実態調査は行っていません。今後の具体的な対策は未定ですが、状況に応じて検討していきたいと思っています」(奈良県産業部観光局奈良公園室担当者)
東大寺や興福寺、春日大社などを含む広大な敷地内での喫煙・分煙対策は、行政だけでは限界がある。この4月から大阪・関西万博が行われる関西圏では、世界各地からこれまで以上の観光客が訪れることが予想され、文化財の保存や分煙対策のためにも適切な喫煙所の整備が急務となりそうだ。