
富裕層の住まいの象徴といえば、思い浮かぶのがタワーマンション。上層階の見事な眺望をはじめ、充実した共用施設や、強固なセキュリティーといったハイグレードな設備に、憧れを抱く人も多い。
しかし、豪華といえども、しょせんは集合住宅。ひとたび住人になれば、管理組合への加入が義務づけられていたり、一軒家同士のご近所さん以上のルールのもとで暮らさなければならなかったりと、それなりの負荷はあるもの。
そのうえ、一般的に100戸以上の家庭の集合体なわけだから、それをまとめる立場の苦労たるや、いかばかりか……。
そんな、憧れのタワマン生活を手に入れたものの、思いがけず管理組合の理事長になってしまったのが竹中信勝さんだ。悲喜こもごもな実体験をもとに、このたび、そのものずばり『タワマン理事長』という書籍を出版した。
竹中さんに、元タワマン理事長ならではのとんでもエピソードを聞いた。
ヒントがない! 理事長の仕事内容
憧れだったタワマン高層階に住まいを持った竹中さん。夢の住居を手に入れたものの、穏やかな日々はほどなく終わりを告げる。
抽選によって、マンション管理組合の理事長に任命されてしまったのだ。当時のことを、こう振り返る。

「マンションを買った者の宿命として、いつかは役員の順番が回ってくるもの。わかっていたはずなのに、まさに青天の霹靂(へきれき)といった思いでした」(竹中さん、以下同)
広告代理店に勤める竹中さんにとって、マンション管理は未知の領域。まずは歴代の理事長たちの業務を参考にしようと管理人に尋ねると、鍵を一つ渡された。
「過去の資料がある棚の鍵、ということでした。扉を開けて愕然(がくぜん)としました。ファイリングされた議事録が、ズラッと何冊も並んでいるだけなんです。必要な情報を、この膨大な紙の資料の中から探し出さないといけないのか、と。
しかも、業務のマニュアルらしきものはなく、かつ議事内容の書き記し方に統一性もないので、参考にはなりませんでした」
それならばと、ネットで情報収集をしようと試みるも、予想外の事実を突きつけられる。
「タワマンの理事会に関する情報というものが、インターネット上には全然なかったんですね。だったら、発信すれば情報も集まるかもしれないという期待も込めて、理事長職の記録を残そうと、ブログを始めることにしました」
理事長に就任したその日から、竹中さんのもとには、マンション内のあらゆるトラブルや相談が持ち込まれるようになる。
ちょうど世間はコロナ禍の真っただ中。マンションにも行政からの指導が入り、共用施設のスパの使用を中止することに。ところが、これに一部の住人が猛反発したのだ。
「タワマン内では、感染予防の観点から閉鎖すべきという意見と、管理費を払っているのだから使わせろという意見の真っ二つに割れました。どちらの言い分もわかるだけに、板挟み状態でした」
自分は医師だという住人から「コロナなんてただの風邪レベル。過剰な対応を取るべきではない」という匿名の手紙が届いたこともあった。
最終的に、緊急事態宣言が解除されるまで共用施設は使用中止にしたものの、反対住人の声は、最後まで途切れることはなかったという。
住人同士の騒音トラブルの顛末は
もちろん平時であっても住人トラブルは発生する。その代表格が騒音トラブルだ。

「住人の方から『掃除機をかけると、隣人が壁を叩(たた)いてくるので、なんとかしてください』と相談が来ました。極力音の出ない静かな掃除機に買い替えても、まだ壁を叩かれるというんです。
ただ、管理組合は住人同士のトラブルの間に入ることができません。なんとか双方で解決してもらえるよう促したのですが、叩かれていたほうの住人が退去するという残念な結果に」
揉(も)め事は、住居の外でも起きる。ある日、マンション1階にある共用トイレの便器の中に、予備のトイレットペーパーが3個も投げ込まれるという奇妙な事件が発生した。
「いったい誰が、何の目的でこんなことをするのか、意味がわかりませんでした。とりあえず、再発防止のため、防犯カメラの位置を変えるなどして、対応しました」
防犯カメラがあっても堂々とルール違反
後日、犯人はマンションの出入り業者の男であることがわかった。しかし、なぜトイレットペーパーを投げ込んだのか、理由はいまだに不明だという。
竹中さんが住むマンションには、実に100台以上の防犯カメラが備えつけられている。犯罪の抑止力につながっている一方で、「効果がないケースもあるんです」と竹中さん。
「ゴミ捨てのルールを完全に無視している住人もいます。そういう人は、カメラがあろうとお構いなし。顔もばっちり写っているのに堂々と捨てていくので、ある意味すごいですよ」

防犯カメラをものともしないのは、チラシのポスティング業者も同様。竹中さんのマンションでは、許可を得ていない業者が、チラシを大量に投函(とうかん)する事案がたびたび発生していた。
「カメラを確認すると、夜中にそっと忍び込んで投函しているんです。しかも、フルフェイスのヘルメットをかぶっているので、不審者でしかありません」
住人からの要望もあり、竹中さんはチラシ業者にクレームを入れた。電話越しに担当者は平謝りだったというが……。
「後日、チラシを入れたことに対する謝罪のチラシが入っていました。これにはあきれましたね」
修繕積立金が3倍に。紛糾する住人説明会
理事長として、あらゆる問題に直面していた竹中さんだが、最も身骨を砕いたのが、修繕費積立問題だ。
一般的に、マンションは10年から15年に一度、大規模修繕が入る。そのため、住人たちは決まった金額を何年もかけて積み立てるのだが、竹中さんのマンションは積立金額が足りておらず、将来的に修繕ができないことが判明したのだ。
「これまでの理事会が代々、積立金の増額を先延ばしにしてきたのが原因です。マンションの財政を赤字にしないためには、現在の修繕積立金を3倍に値上げする必要があると計算が出て、めまいがしました」
積立金の値上げを提案するため、竹中さんは住人を集めて、自ら説明することになった。3密を避けるため、なんと合計6回もの説明会を実施したという。
「ご高齢の方から、『老い先短いので、値上げはしないでほしい』と言われたときは、本当に心苦しかったです。ほかにも、2倍ではダメなのか、なぜ今まで段階的に値上げをしてこなかったのかなど、私が関わりのない、以前のことまで責められました」
とはいえ、このままだと修繕工事ができず、住環境そのものが悪化してしまう。竹中さんの必死の説得もあって、なんとか修繕積立金の値上げは可決されることとなった。

なお、これほどの時間と労力をかけても、竹中さんにリターンはない。理事長は無報酬なのだ。
「マンションによっては役員費が出るところもあるそうですが、それも年間数万円程度と聞きます。多くは、ボランティアで成り立っているんです」
任期は1年。苦労の連続だったという竹中さんだが、それでもやっぱり、タワマンに住んでよかったと語る。
「ジムやキッズルームなど、共用施設があるのはやはり便利です。各階にAEDが配置されていますし、災害時の備蓄食料もある。長く住むうえで、そういった安心感は大切ですよね。そして何より、タワマンに入居するきっかけにもなった眺望。この景色は何物にも代えがたいです」
苦労の末に眺める景色は、格別だということだろう。
取材・文/中村未来