子どもから大人まで「ぽっぽ~」と歌っていた曲はオリコンの演歌部門で1位を獲得。デビュー曲で1位をとった日本人歌手第1号にもなった。
さらに携帯電話の着うたダウンロード数は、外国人演歌歌手、ジェロの歌う『海雪』を抜いて演歌歌謡曲部門の1位に輝き、最終的に200万以上のダウンロード数を記録。『ギロッポン』の勢いはとどまることがなかった。
それまで普通の会社員だった先輩の生活は何から何まで変わってしまった。
「寝る時間がなかったですね。家に帰ることもできず、泊まっているホテルにも帰れなくて、2日も風呂に入れないなんてこともありました」
それだけの売れっ子になれば当然、収入も爆発的にアップ。
「最高で月に1200万円のときもありました」
しかし、稼いだお金はほとんど残っていないという。
「高いものを食べて、高い酒を飲んで、あとは女性。とにかく女性が好きだから。お金は全部シモから流れてしまいました。それにいろんな人が寄って来て、お金を貸したら戻ってこなかったですね」
大ヒット歌手の生活を味わえたが、そんな生活は1年ほどで終焉を迎えることに。
「デビューしたのが35歳です。その年になれば、世の中のことや芸能界の仕組みもわかります。冷静に判断して、これ以上は無理だとわかっていました。だから、最初から一発屋で売っていました」
そのため、自分のタイミングで引退すると決めて、あらかじめ所属事務所にもそう伝えてあったという。事務所も納得し、人気に陰りが見えると、正式に会見を開き、年内引退を表明した。
「実は、あれは3枚目のCDを売るためのプロモーションで、半分冗談だったんです。だけど、CDはほとんど売れませんでしたね」
結局、引退の形を取りながら、決まっていた営業を続け、芸能界に踏みとどまっていたら、ある日、テレビCMの仕事が舞い込むことに。
「CMのおかげで、地味に復活させてもらいました。いまは芸能界の隅っこで活動させてもらっています。また一発当たるかもしれませんしね」
そんな一発屋の誇りを持った鼠先輩が唯一、後悔しているのが、キャラの初期設定。
「キャラクターを守り続けていますがパンチパーマがつらい。月に1回、理髪店に行き、2時間かけて仕上げます。毛根とキューティクルに悪いし、料金は1万円。もったいないですよ。サラサラヘアになって、女の子にモテたいな」
いま先輩はジミ~に芸能活動をしながら新宿と池袋で飲食店を経営しているという。新宿のお店は『ネズミーランド』という名のスナック。どこかのテーマパークに叱られそうだが、先輩のフェロモンに引き寄せられた芸能人やスポーツ選手が夜な夜な現れて、「ぽっぽ~」と盛り上がっているとか。しかし、六本木ではなくなぜ新宿と池袋に?
「歌っていてこんなこと言うのもなんですが、六本木はあんまり好きな街じゃないんです。水が合わないね。極力行かないようにしています」