吉永小百合

 15歳年上のテレビプロデューサーだった岡田太郎さんと'73年に結婚して、永遠の愛を誓った吉永小百合。あれから51年の月日が流れた'24年9月3日、岡田さんが胆のうがんのため、都内の病院で亡くなった。この日、吉永は群馬県で映画の撮影に臨んでいた。

必ず花を贈ってくださる」

「吉永さんは、世界で初めて女性の登山家としてエベレスト登頂を果たした田部井淳子さんをモデルとした主演映画の撮影に参加されていました」(スポーツ紙記者)

 撮影が終わると急いで車に乗り込んだ吉永。夫の待つ病院へと、車を飛ばした─。このときの様子を週刊女性が報じてから半年あまり。こんな話が聞こえてきた。

「今年の2月に、都内にある『第五福竜丸展示館』を訪れたら、そこに吉永さんから贈られた花が飾られていたんです。立て札には『ビキニ水爆70年記念 美術展、記念コンサート』と書かれていて、調べるとコンサートは'24年10月に開催されており、岡田さんと死別した翌月のこと。そんなときでも吉永さんは、心遣いを忘れない人なんだと感じました」(訪れた男性)

 吉永はライフワークとして、'86年から原爆詩の朗読会を行っている。展示館に花を贈ったのも、こうした活動の縁なのか。同館学芸員の安田和也さんに話を聞いた。

「吉永さんは当館でイベントが開催されると、必ず花を贈ってくださるんです」

 '53年、アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験により、遠洋マグロ漁船の乗組員23人が被ばくした『第五福竜丸事件』。重い後遺症を患っただけでなく、被ばくから半年後には乗組員の1人が亡くなった。吉永は、そうした被害を伝える活動に尽力してきた。

「私に何かできることがあれば」という姿勢

「吉永さんは原爆詩の朗読をしたCDや詩画集を発売しているのですが、その挿絵を、ジブリ作品で美術監督をしている男鹿和雄さんが描いています。'08年に当館で男鹿さんの展示会を開催することになり、吉永さんはそのとき初めて来館してくださいました。それを機に当館へ足を運んでくださるようになって、吉永さんから“どうしたら第五福竜丸事件を知ってもらえるかしら”と言っていただき、交流が始まりました」(安田さん、以下同)

 吉永は、静岡県焼津市や三重県津市などでも、第五福竜丸事件に関する原爆詩を読むチャリティーイベントを開催してきた。

吉永小百合が『第五福竜丸展示館』に贈った花は、今も同館に飾られている

「原爆詩の朗読も、40年近く続けている中で、当館のことを気にかけてくださるなど、本当に“私に何かできることがあれば”という姿勢です。けれど、それが当たり前なことのように、ごく自然に行っているんですよ。

 今年1月にも、原爆が投下された広島や長崎などをテーマに絵を描いている画家の展覧会を見に来られました。飾らない服装で、さりげなく鑑賞されていたことから、周囲の来館者は誰も吉永さんに気がつかなくて。今夏にも原爆詩の朗読会を開催する予定です」

 3月13日で80歳となる国民的女優は、同じ悲劇を繰り返さないため、平和の大切さを広め続ける─。