「アクションシーンは好きです。身体を動かすのは楽しいし、日常生活で男の人を殴って倒せる機会なんて、そうそうないですからね(笑い)」
ハスキーながらもよく通る爽やかな声で明るく話すのは、女優の文音。6月20日から公開の映画『KIRI―「職業・殺し屋。」外伝―』では、キレのある華麗なアクションを披露している。
「昨年、ドラマ『SAKURA~事件を聞く女~』(TBS系)で初めてアクションシーンに挑戦しました。やるからには中途半端なことはしたくなかったので、稽古後に家へ帰ってからも、母に技を見てもらいました」
技の指導ができるお母さんとはただ者ではないが、それもそのはず、彼女の母親は志穂美悦子なのだ。’70年代から’80年代にかけて活躍し、日本で初めてスタントや擬闘を演じた女優である。’87年にシンガー・ソングライターの長渕剛と結婚して以降、芸能活動を控えているが、当時の感覚は鈍っていないという。
「母は今でも全然動けますよ。足技などをひとつひとつ分解して、丁寧に指導してくれました。私は空手の経験がなくて"型"ができないのですが、バレエを長くやっていたので脚が高く上がるんです。そこを生かしていこう、というアドバイスをくれました」
文音は実生活では3人きょうだいのいちばん上で"姉"という立場。弟ふたりとは仲がいいそうだ。
「6歳下の弟とは今でも映画に行ったりしますね。1歳下の弟とは双子用のベビーカーで育てられたこともあって、本当に仲がいいです。子どものころは殴り合いのケンカもしましたけど(笑い)」
たとえ、きょうだいゲンカが始まっても、両親は止めに入らなかったという。志穂美も長渕も"強い"イメージがあるが、家庭で見せる姿もやっぱり……?
「父は昔から厳しかったですね。母に対しては亭主関白。だけど、母が"縁の下の力持ち"!をしているからこそ家庭がまわっているのであって、本当は"優しい母ありきの強い父"という感じかと」
とはいえ、父親の影響はやはり大きい。"長渕家"の教育方針を聞いてみると、「う~ん」と頭に手をやり悩みつつも、こう答えた。
「とにかく父は中途半端が嫌いなんです。だから、"1回やったことはやりとげろ。そのためにも夢を見つけろ。自分のやりたいことを探せ"と言われて育ちました。逆に"勉強しろ"と言われた記憶はいっさいないですね」
実際にその言葉を胸に4歳からバレリーナを目指すも、14歳でケガに見舞われ、断念することに。なんのために生きているのかと思うほど、ひどく落ち込んだという。
「それから2年間はいいことも悪いこともいろんなことをしました。何事も経験しなければわからないので。そのうちの1つにお芝居がありました。ケガをしたあとに演劇のワークショップに参加していたこともあって、高校に入ってから演劇スクールに通いました。そこでセリフをのせて全身を使って表現する、お芝居の面白さに気づきました」
その後、20歳で主演映画『三本木農業高校、馬術部』でデビュー。日本アカデミー賞新人賞を獲得した。しかし、’12 年9月に改めて芝居を学ぶためにニューヨークへ留学。向こうでの生活は、初めてのひとり暮らしや語学の壁などもあり厳しい毎日だったが、こんなうれしいことも。
「ニューヨークのストリートで絵を売っている無名の画家を通して、ハリウッド女優のリヴ・タイラーが近くに住んでいることを知りました。会えたりはしなかったけど、その画家の作品を彼女も持っていることを知って、より好きになりました」
米ロックバンド『エアロスミス』のボーカル、スティーヴン・タイラーを父に持つリヴ・タイラー。文音は、似たような境遇ながらも自分の人生を生きている彼女が、昔から憧れの人だという。
’14年5月に帰国すると、芸名から"長渕"をとった。自分の気持ちを仕切り直したかっただけで反発心ではない。
「両親はふたりともすごく愛情をかけて育ててくれたので、感謝しています。母は私が生まれてからいつも家にいてくれたし、父も授業参観などは必ず来てくれました。両親がこの業界にいながらも小さいころに寂しい思いをしなかったのは、幸せなことですよね」
昔は父母という面でしか両親を見ていなかったが、現在は仕事というフィールドでも、意識するようになった。
「私にとってふたりは、生まれたときから普通の父と母でした。だけどいつからか、ステージ上に立った父をアーティスト長渕剛として見るようになり、母の作品を見ているときに志穂美悦子という女優としてとらえるようになりました。それに気づいてからは、仕事のうえでも先輩として尊敬しています」
最後に、今いちばん楽しいことを聞いてみると、"お芝居しているとき"とキッパリ。
「これまでに2回ほど舞台の仕事もしましたが、また挑戦してみたいですね。いずれは"この役は文音にしかできない"と言っていただけるような女優になりたいです」
そう語る瞳は熱く、力強い光に満ちていた─。