東出昌大主演の『GONIN サーガ』が9月26日より公開中。石井隆監督によるバイオレンス・エンターテイメント映画の金字塔『GONIN』の流れをくみつつ、その19年後を舞台に、激しく壮大な物語(サーガ)が描かれる。
「初めて見る方も、先入観を持たずに新しいサーガを楽しんでいただけたらと思います」という東出に、主演俳優としての気構えや作品の手応えを聞いた。
――東出さんにとって、役者をやっている理由、喜びは何でしょう?
「役者の真の楽しみというのは、正直まだ移り変わる余地があるだろうなと思いますが、やっぱり“いい作品だったね”って言ってもらえると本当にうれしい。苦しいことも多く、ときに本気で後悔したり、一喜一憂したりもしますが、それだけ集中できる仕事に就けて、こんなに面白いことはないなぁ、と」
――作品や人との出会いごとに、扉が開かれる感じでしょうか?
「そうですね。扉が開かれることを期待して作品に入ってはいませんが、終わってから振り返ると、あの時の経験ってああいう意味だったんだって、キツかっただけじゃなくてよかったんだって思うことがあります。自分が不器用だから楽しめているところもあると思います」
――その役の感情になるために、やっていることはありますか?
「境遇を自分の中に“しみ込ませる”こと。そのために台本を読むことです。ただその場に突っ立って何もしないということはたぶんない。モデルだったら“服を見せる”という目的もありますが、役者は立つだけの芝居でも、何か前後の脈絡があって立っているわけですから」
――では、『GONIN サーガ』の役作りについても教えてください。
「僕がやった主人公の勇人にとっては、父の死が人生の大きなターニングポイントになっています。ヤンチャしていた時期もありましたが、13歳で父を亡くしてからは、母の苦労も見ていますし……。だから極道にならず、むしろ、そこから遠ざかって、狂気を捨てて生きてきたんだろう、と想像しました」
――母思いで優しい主人公が、一気に怒りを爆発させる芝居が印象的でした。
「ありがとうございます。中盤以降、動物的に吹っ切れてからのほうが芝居がしやすかったですね。石井監督特有の雨のシーンが多い中、役者みんなが髪を振り乱しながら、ガムシャラになって。復讐する側もそれを迎え撃つ側も、本能的にぶつかり合った感じでした」
――役と東出さん自身が重なる点は?
「僕もふだん、ほとんど怒ることはなくて。優しくありたいという思いは勇人と似ていると思いますが、僕の性格上、家族を傷つけられたり、動物をいじめたり、ものすごく理不尽なものに対しては、タガがはずれたり、怒ることがあると思うんです。それはまさしく共通項だと」
――あえて女性目線で、この映画を楽しむポイントを教えてください。
「女性しか読まない雑誌だから言わせてもらうと、石井監督は“色気”を撮るのがうまいんです。女性が見て魅かれるのは、女性(の登場人物)もそうですけど、男性の色気でしょうね。それから水もしたたる……、したたるって言うと聞こえがいいですけど(笑い)、全身ずぶ濡れになって、目だけらんらんと光らせて芝居をしているので、その奥にある狂気と色気みたいなものを見ていただけたらと」
――東出さんの色気も出てる?
「いやー、それはわからないですけど(笑い)。映画評論家の方がそう書いてくださったのを読んで、よかったのかなって思いました(笑い)」
――雨の中に入っていく芝居は、演じる側も楽しんでやれるもの?
「じゃないです(笑い)。普通の映画の雨って、全身が濡れるまで5秒とか10秒の猶予があるじゃないですか。石井監督の現場の雨って、1秒で下着までグッショリなんですよ。ビックリするぐらいです。本物のゲリラ豪雨にあった時って、みんな頭抱えながらウワーッて走り出すじゃないですか。それよりもキツい状況の中でグワッと(アクションを)やるので、芝居も自然と本能的になりますね」
――セリフや音もよく聞こえない?
「聞こえません。“カット!”の声もよくわからない。また、カット尻が長いので、みんなず〜っと芝居を続けています。こうやって話していると、だんだん思い出しますね(笑い)」
――撮影は去年の6月でしたね。
「そうですね」
――6月というと、『ごちそうさん』を3月まで放送していたから……。
「映画の『寄生獣』と『アオハライド』を撮り終わって、『GONIN』をまる1か月。最終日は朝の6時まで撮って、朝9時から『親父の背中』(渡辺謙とダブル主演のドラマ)のリハでした」
――それは、それは(笑い)。役の振れ幅もすごいですね。青春真っ盛りの高校生を演じた『アオハライド』なんて、まったく違う世界だし。
「真逆ですね、本当に(笑い)。あえて共通項で言うと、親を亡くすとか。なぜか僕は親の死というのが多いんです。『アオハライド』も『花燃ゆ』の久坂玄瑞もそうでしたし」
――東出さん自身は、お父さんと何歳で死に別れたんですか?
「僕が22歳の時ですね」
――もう成人はしていたものの、お母さんは心配だったでしょうね。
「まあ、うちは兄もいますけど、母は子どもたちによく、ずっと心配は心配よって言いますね。何歳になっても、そうなんだろうなって思います」
撮影/高梨俊浩