NHK連続テレビ小説『あさが来た』で、薩摩藩出身の実業家・五代友厚を演じているディーン・フジオカ。'04年に香港でモデル活動をスタートさせ、翌年演技デビュー。その後、台湾で数々のドラマや映画に出演し、大人気スターに。
「初の朝ドラ、大変な部分もありましたけど、それ以上に楽しかったです。意味のある、意義のある時間でした。声をかけていただける機会も多くなりましたね。“五代なしでは生きられない”っていうくらいに入り込んでいただけたり、逆に僕自身に興味を持っていただけることは、すごくうれしいです(笑い)」
“逆輸入”俳優として、今年は『探偵の探偵』に次ぐ朝ドラ出演で日本女性のハートもギュッとつかんだ彼。実は昨年、北米ドラマデビューも飾っていた。
「うれしかったですね。いつか、出てみたいという気持ちはありました。通っていた大学が北米にあって、そこを離れるときに“いつか、この国に戻ってくるぞ”という気持ちがあったんです。そのときは、ウェブデザインを勉強していたので、まさか俳優として戻ってこられるとは思っていませんでしたけど」
北米デビュー作となった『荒野のピンカートン探偵社』は、1860年代のカンザスを舞台に実在するアメリカ最古の探偵社、ピンカートン社の創設期を描いたドラマ。ピンカートン探偵社を訪れる、謎の依頼人ケンジ・ハラダを演じているのがディーン。
「撮影で印象に残っているのは、寒かったこと(笑い)。マイナス35度になることもあって。外で話していると、息が湯気になってまつ毛につく。そうすると、そのまま凍って、目が開けられなくなることがあるんです。マイナス20度になると、どんな職業であれ、外で2分以上仕事をしたらいけないっていう労働基準法があるくらい。
ふだんは、暖かいジャカルタに住んでいるので、寒さは苦手ですね。基本はセットでの撮影だったんですが、できるだけ重ね着をすることで対策をとりました。ほかの時間は、用がなければホテルの外に出ない(笑い)。おとなしく、筋トレしたり、読書をしたりしていました」
当初は3、4回の出演予定だったが、最終的にはその倍に。それは、彼が登場する第4話を見たプロジェクトリーダーたちからの高い評価によって。
「ありがたかったです。そのぶん、行ったり来たりが増えて大変でしたけど(笑い)。ちょうど子どもが生まれるころだったので出産にも立ち会いたくて、ふたつのエピソードを撮ったら丸1日かけてカナダのウィニペグからジャカルタに帰ってという。同じ時期に、台湾や日本でも仕事があったので、去年の9月から今年の2月くらいまで、本当に慌ただしかったです」
住まいのあるジャカルタには、インドネシア国籍の奥さんと、1歳の男女の双子が。
「ふたりを両脇に抱いていると、癒されますね」と満面の笑みで語ってくれたが、来年1月スタートのドラマ『ダメな私に恋してください』も決まり、しばらくはひとり日本に滞在して俳優活動を続けるよう。
それは、両親に反対されても早く海外に行きたいと、高校卒業後に日本を離れるきっかけになった大の苦手な花粉の時期まで。
「そうなんです。ひどい花粉症なので、どうしようかと思って。しんどくなるなぁ(笑い)。基本、仕事があれば、どこにでも行くというスタンスは変えずにいたいんです。いま、こうして自分の祖国である日本で活動をさせていただいていることを家族、とくにおばあちゃんがとてもよろこんでくれていて。
朝ドラに出演できたことも自分にとっては、奇跡みたいなこと。テレビをつけたら、日本語で演技している孫がいるっていうことを、できるうちはやっておきたいなと思って。だから、日本で活動したい気持ちが、どんどん盛り上がってきています。
あと、生まれ育った福島の震災以降の現状も知りたいと思っています。今年は、久々に日本で除夜の鐘を聞くことができそうです。ジャカルタの家族と一緒に聞けないのは、残念ですが」
北米デビュー作『荒野のピンカートン探偵社』のDVD-BOXが'16年1月13日(DVD-BOX 1=6枚組)と2月3日(DVD-BOX 2=5枚組)が発売。
撮影/佐藤靖彦