6月4日に入院先の病院で亡くなった林隆三さん。
「ライブを終えた後、体調が悪くなり病院へ搬送されました」(前出・スポーツ紙記者)
渾身のライブだったが、そこには林さんが晩年貫いたポリシーがあった。
「自分に正直で“好きなものは好き”“1度決めたらやる”という熱い気持ちを持った人でした」(舞台関係者)
それは震災後も同じだったという。
「震災が起きてすぐ、林さんから出演映画『エクレール・お菓子放浪記』のギャラはすべて石巻に寄付すると言われました」
そう話すのは、『シネマとうほく』の社長で同作のゼネラルプロデューサーの鳥居明夫さん。出演依頼をしたとき、
「この映画で“東北から文化発信をしていきたい”と伝えたんです。そしたら“東北のためならひと肌もふた肌も脱ぎたい”と快諾してくれました」
実際に募金活動の呼びかけや、日本各地での上映会に可能な限り参加してくれたという。前出の関係者いわく、
「林さんは小学生時代を仙台で過ごしていて、そのときの思い出が強烈に残っていたそうです」
映画で座長役を務めていた林さんは、現場でもみんなをひっぱっていたそうだ。
「ロケ中にお酒を飲んだこともあるんです。そのときカラオケがいつの間にか“林隆三ショー”になって(笑い)。でもそれは大盛り上がりでしたよ」(鳥居さん)