先月の九州場所を制し、幕内優勝回数を32とした横綱白鵬。これにより、’13 年に亡くなった“昭和の大横綱”大鵬の最多優勝記録に並んだ。白鵬は故・大鵬さんを“角界の父”と慕い、部屋は違うが、生前時おり大鵬さんのもとを訪れ、さまざまなアドバイスを受けていた。優勝インタビューでは「偉大な記録に並び、約束と恩返しができた」と話した白鵬。大鵬さんからは「白鵬なら私の優勝回数を超えられる」と太鼓判を押されていた。
白鵬が“父”を最後に訪ねたのは’13 年1月、「どうしても行きたいんです」という申し出から。
「場所中なので、今度でいいよ、と言ったのですが、どうしてもそのときに会いたかったんでしょうね」
そう語るのは大鵬さんの妻・芳子さん。晩年、昭和の大横綱は入退院を繰り返しており、白鵬が訪ねたときは、退院していたとはいえ体調は万全とは言いがたく、車イスで鼻にはチューブという状態。
「しっかり話せるのか不安でしたが、急にピシッとして、“横綱っていうのは、勝つだけじゃダメだ。強いだけじゃダメなんだ。いい加減なことするなよ”と伝えていました」(芳子さん、以下同)
時間にすると5分足らず。最後に「俺はもう病院行くからじゃあな」と言って、昭和と平成の大横綱の“大一番”は終わった。
「白鵬さんは、ずっと真剣な顔で“はい”と静かにうなずいていました。亡くなったのはその2日後なので、場所が終わるのを待っていたら会えなかったんですよね」
大鵬さんは現役時代から、慈善活動に取り組んでいたが、活動は現在、白鵬に受け継がれている。それが最後の短い時間で伝えられた“強いだけじゃない横綱らしさ”のひとつなのかもしれない。