'96年に脳出血で倒れ、17年間の闘病生活の末'13年1月15日に亡くなった映画監督の大島渚さん。最期まで献身的に寄り添った妻が三回忌を前にして、思うことは――。介護の思い出、自身の“終活”などを語った。  

 映画監督だった夫・大島氏の介護生活を経て、現在は被災地支援を行っている小山明子さん。

「福島県・大熊町の教育委員長に困っていることを聞いたら“中学生向けの本が欲しい”と。それで中学生の孫にチョイスしてもらった本を贈ったんですよ。これがすごく喜ばれてね。中学生たちは私なんて何者かわからないと思うけど(笑い)、色紙に《小山明子さんへ》と書いた寄せ書きをくれました。これは今、大切な宝物になっています」  

 ドキュメンタリー映画『生き抜く 南三陸町 人々の一年』に感動し神奈川県藤沢市での上映を決めた。“私たちは被災地を忘れないよ”というメッセージを顔の見える形で伝えていきたいという。再開した女優業も講演活動も、社会貢献が目的でもある。

「そこで稼いだお金は自分の裁量で使えるじゃない。家族にも“お金は残さないけど、人々が楽しめることのために私が動けば、結果として、あなたたちに返ってくると思う”と話しています」

 とはいえ、80歳は夫の亡くなった年齢でもあり、こんな意識も芽生えてきた。

「“終活”をテーマにして日々を送っています。具体的なことでいえば、遺影選びをしていますよ。雑誌で撮ってもらった写真で気に入ったものをもらって、すでに候補が3枚あります(笑い)」

 2人の息子の嫁をはじめ、世話になった人に“生き形見”も渡しているそう。“祖母”ではなく“対人間”としての記憶を残したいという思いから、孫との2人旅もしている。

「あと10年、生きられればと思っているんです。その間、若々しくいるには“認知”がまず必要ですよね。世の中のことがわかって、普通の生活ができるということ。あと、流行りのものに興味を持つことも心がけています。昨年は『アナと雪の女王』も見たし、今年のお正月には『妖怪ウォッチ』も見ました(笑い)」  

 いろんな人と関わる“社会性”も大切にしていて、昨年も全国各地を飛び回っている。今後もその姿勢は変わらない。

「大島の介護を通して見つけられた道だし、どこかで大島も見守ってくれていると思うから、まだまだ頑張ります」