0113_海老蔵
 1月2日から新橋演舞場で、『初春花形歌舞伎』の舞台に立っている海老蔵。ほか中村獅童、市川右近ら若手がそろった配役陣に《道行改め市川九團次》とある。

 成田屋の名跡・九團次が60年ぶりに復活、襲名したのは市川道行という、昨年9月に弟子入りしたばかりの役者だ。ところが新人というワケではない。

「上方、いわゆる関西歌舞伎出身で、坂東竹三郎さんの芸養子・坂東薪車を名乗っていました。一般家庭出身で、もとはミュージカルや芝居など現代劇に出演していた俳優ですが、20代半ばに歌舞伎を志して竹三郎さんに弟子入りしたんです」(歌舞伎関係者)

 自身の息子がミュージシャンの道を選んだこともあり、竹三郎は道行を芸養子として迎えて、かつて自身が名乗っていた薪車を継がせるなど、手塩にかけて芸を教えた。すると薪車もメキメキ頭角を現し、関西の人気役者へと成長。ところが昨年、突然2人は袂を分けたのである。

「次第に増長していった道行の素行に目をつむっていた竹三郎さんでしたが、昨年2月に彼が無断で現代劇『サロメ』に出演。さすがに咎めた師に対して、“僕は歌舞伎に向いていない”と言い放ったといいます。謹慎ですませるつもりだった竹三郎さんですが、これに愕然とし芸養子関係を解消することにしたのです」(前出・歌舞伎関係者)

 いわば“破門”された身であった道行。しかし、それから約半年後の昨年9月、突然の成田屋入りが海老蔵によって発表されたのである。

「めったにあることではないです。というよりも破門された人が、別の役者さんのお弟子さんになるという話は初めて聞きますね。尋常なことではないですが、竹三郎さんと海老蔵さんとの間でちゃんと話がついているのかどうか」(歌舞伎研究家・喜熨斗勝氏)

 近代歌舞伎において、役者が破門されることはまずなかった。さらに別の“家”に弟子入りとは、前代未聞の出来事なのだという。

「竹三郎さんはもちろん、上方としても軽視されているようでおもしろくはない。確かに明確な決め事はありませんが、それは暗黙の了解、いわば禁忌侵し。さすがに“いくら海老蔵でも許されない”という声も上がっているそう」(前出・歌舞伎関係者)

 当の竹三郎に経緯を聞こうとするも、対応したのは夫人。道行にとっては“母”とも言える存在だったはずだが、

「松竹さんにお聞きになったらいかがでしょうか。全部、あちらがなさってるのと違いますやろか。ウチはもう言ったら、(道行を)切ったわけですから関係ないので。それにもう仕方ないですし、何もわかりませんのでね」

 と、“息子”への冷ややかな対応を見せるだけだ。一方で離縁の発端となった舞台『サロメ』以降、マネジメントしているという道行の所属事務所の担当者は、

「こちらとしては破門という形ではとらえていないんですよ。あくまで伺った話なんですけども、お父さま側が破門と言われたかどうかまでは僕もわからないですが、実際としましては、道行が自分から出たいと言って出たという感じですね。話し合いが行われて松竹も間に入っていたりもしていたので、破門という形ではないと思います」