「顔や身体に目立った傷はなかったようです」(病院関係者)
女優・秋吉久美子の息子が亡くなったのは先月13日のことだった。転落による事故死だったが、遺体の発見場所が都内にある大学病院の非常階段ということで、さまざまな憶測を呼んでいる。
秋吉が「できれば(子どもは)卵で生みたいわ」という、芸能界迷言集に必ず登場する発言で、世間をア然とさせたのは’79 年2月。その5か月後に誕生したのが息子だった。彼は3歳のときに、秋吉の実家に預けられ、中学卒業まで祖父母に育てられることに。秋吉はかつての雑誌インタビューで、こう答えている。
《お手伝いさんが病気になってしまって、彼とも相談した結果、田舎の祖父母に預けるのがいちばんだと思ったんです》
さらに、《子どもには絶対"ママ"って呼ばせなかったし、あれは3歳のころだったかなあ。あんまりわがままを言うから"このオモチャはあんたひとりで手にいれたもんじゃないのよ"って、ぜ~んぶ私の部屋に引きあげたの。(中略)それ以来、ず~っと私を偉大だと思っているみたい》と独特の子育て法を披露していた。
しかし、結婚生活は10年で破綻。秋吉はその後、’04 年に26歳下の映像クリエーターと結婚。しかし翌年に離婚、’06 年に復縁というめまぐるしい展開を見せ、結局、昨年の10月にまた離婚となった。
母親が、自分と年が近い若い男と浮名を流す間、息子本人がマスコミの話題に上がることは1度もなかった。
《"あなたが私をただの母親レベルに落とし込みたくとも私は負けないわ"(中略)あなたはCUNTから生まれたにすぎないただの19歳の男のコよ》
これは秋吉がフォト詩集を出したときに、週刊誌の取材を受けて息子に送ったメッセージだ。母親となることを拒否、女優を選んだ秋吉の矜持がにじみ出ている。
幼いころから母親を求めることが許されなかった息子の寂しさは計り知れないが、かといって、ふたりの関係がうまくいってなかったとは言い切れないようだ。
「7、8年くらい前からお母さんと一緒にいるところを何度か見たことがあります。去年も何かのパーティーにふたりで来てましたよ」(テレビ局関係者)
息子の知人の話では、
「彼はもう何年も知り合いの家に居候していたみたいです。定職には就いておらず、ときどき警備員のアルバイトをしていました。なぜ病院に行ったのかはわかりません」
独特の距離感ながらも、ただ1人の子どもの不幸に、母は憔悴しているという。