「この厳しい芸人の世界で珍しい、エエ人間でしたね」
先輩にあたる西川きよしは涙ながらに故人をそう偲んだ。
「昨年9月に体調不良のため病院に行ったところ、胃がんが発覚。その時点でステージⅢ~Ⅳ期まで進行していましたが、抗がん剤治療でがんを小さくしてから手術する予定でした」(芸能プロ関係者)
その後、3か月間は治療に専念するも、12月には舞台に復帰。しかし、目に見えて体力は落ちていたという。
「復帰後は、舞台を降りた後にしばらく楽屋にこもることが多かったですね。いくよさんはいつも真っ先に外に出てみんなと話すタイプでしたから、身体がそうとうキツイんだなと思いました」(前出・芸能プロ関係者)
それでも亡くなる2週間前まで舞台に立ち続けたいくよさん。最期を看取ったのは、相方のくるよだった。
‘73 年にデビュー。細身のいくよさんに、丸ぽちゃボディーのくるよという対照的なコンビは、お互いの体形を揶揄するネタでブレイクした。
「もともとふたりは高校の同級生でした。強豪のソフトボール部に入っていて、朝から晩まで練習をともにするうちに親友になったそうです。高校を卒業してそれぞれOL生活を送っていましたが、くるよさんがいくよさんを誘って吉本興業入り。しかし、10年近く売れない時代が続きました」(芸能レポーター)
当時は女の先輩がおらず、“どうせやめるだろう”というのが周囲の空気。そんな苦境を地道な努力で一緒に乗り越えてきただけに、絆は強かった。コンビ仲がいいことでも知られていた。
「楽屋が一緒なだけでなく、移動先の電車でも隣同士に座っていましたね。どちらかといえば、甘えん坊のくるよさんをいくよさんが世話を焼く感じでした。特にくるよさんが心臓病を患ってからは一層その度合いが増していましたね」(前出・芸能プロ関係者)
‘09 年にもくるよが不整脈で倒れると、病気について必死で調べるなど献身的にサポート。昨年、いくよさんにがんが見つかってからは、くるよが同じように支えていた。
「いくよさんがしてくれたように家事を手伝ったり、入院先にも毎日顔を出していました。そのかいあって、いくよさんは亡くなる3日前までギャグを飛ばすほど元気でしたよ。“くるよちゃん、100歳まで一緒に漫才しよな”とも言っていましたね」(前出・芸能プロ関係者)
ともに独身のふたりは、私生活でも二人三脚だったのだ。前出の関係者いわく、こんな思いも共有していたという。
「海外の恵まれない子どもたちに向けての里親活動も一緒に行っていました。いくよさんは若手の芸人を食事に連れっていったり、服をプレゼントしたりと、すごく面倒見がよかったんですね。それは後輩たちのことを自分の子どものように思っていたからです。実際に母のように慕う芸人が多かったですね」
29日の通夜に訪れたくるよは頬を濡らしながら、いくよさんにこんな言葉をかけた。
「日本一の相方や! 私は本当に幸せやった」