今年、5年ぶりになるシングル『Rojo-Tierra-』とカバーアルバムを発売した中森明菜。昨年発売した2枚組ベスト盤は30万枚売れたものの、シングルとカバーアルバムは2万枚ほどにとどまり、明菜は落胆していたという。
落胆したことが引き金となったのか、明菜の体調は悪化。
「明菜さんは今、ハワイにいますよ。仕事のためではありません。言ってみれば、転地療養のようなものでしょう」(レコード会社関係者)
彼女は昨年10月からロサンゼルスでレコーディングを行っていたが、1月には日本に戻っていた。再び海外に出て行ったことには、心の状態が関係しているようだ。
「’10 年に活動休止を発表したときは、《疲労の蓄積による免疫力の低下により安静が必要》と説明されていました。帯状疱疹を発症していたとも報じられましたが、心のバランスを崩したことも指摘されています。昨年の秋ごろにも、明菜さんは治療のために東京都下のある有名な病院に入院していました」(前出・レコード会社関係者)
この病院には、心の悩みを抱える芸能人が何人か入院したこともあった。明菜が入院したのは、このときが2回目。
「初めての入院は、’89 年の自殺未遂後。その年の7月に近藤真彦の自宅マンションで、自分の左ひじの内側をカミソリで切るという自傷行為を行ったんです。彼女は近藤と5年にわたって交際していましたが、この年の2月にニューヨークで彼が松田聖子と密会していたことを報じられました。混乱した彼女は、近藤の部屋で自殺を図ったわけです」(芸能レポーター)
出血がひどく手術は6時間にも及んだが、幸いなことに一命を取り留めた。ただ、心の傷は残ったままで、明菜はこの病院で治療を受けることになったのだ。
「入院する部屋はほとんど個室で、1泊1万円程度。ただ、保険はきかないので、かなりの出費になりますね。プライバシーは守られていますが、個室にはシャワーがないので、長期入院になるとお風呂場でほかの患者さんと出会うこともあります」(前出・レコード会社関係者)
実際に、病院の中で明菜を見かけた患者がいた。
「この病院は、同じフロアであれば自由に行き来ができる構造になっています。昨年、その患者さんは、お風呂場でたまたま中森さんと遭遇したとのことです。彼女はガリガリにやせ細っていて表情は暗く、とても声をかけられるような雰囲気ではなかったそうで、すぐにお風呂から出ていったとか」(入院患者の知人)
病棟には図書室やサロンのようなスペースもあるが、明菜に遭遇したのはこの1度だけという。彼女はほとんどの時間を自分の病室で過ごしていたらしい。
「この病院は、入院は3か月間しかできませんが、病気がよくなるまで1か月に1度は通院する決まりなので、毎月通っていたはずです。海外にいて通えないときは、現地でも同じ治療を受けられる病院を紹介してもらえます。明菜さんはハワイでも治療を受けているはずですよ」(明菜に近しい人物)
東京都下の病院を訪れて関係者に話を聞こうとしたが、「取材には対応できません」とのことだった。ユニバーサルにも問い合わせると、「事実関係に関してはわかりかねます」との答えだった。