ヨネスケ夫婦のなれ初めは、落語関係者いわく「駆け落ち同然で同棲を始めて、そのまま結婚」というものだった。
「同じ千葉県の出身で、奥さんは高校2年生、7歳上のヨネスケさんは前座から二つ目に昇進。住み込みだった師匠の家からやっと出たころに交際が始まったそうです。結婚当時、奥さんは短大を卒業したばかりで、両親は若手落語家と一緒になることに猛反対したんですよ」(落語関係者)
新婚旅行はバリ島。その後、2男1女に恵まれ、’85年には『隣の晩ごはん』シリーズが始まって、ヨネスケの仕事は安定していく。しかし、熟年離婚への導火線はすでに引かれていた、とも。
「ヨネスケさんは、とにかくガムシャラになって働く団塊の世代ですし、芸人は遊び歩いてナンボの世界。子どもたちが幼いころもほとんど家には帰らず、たまに帰っても朝帰りだったそうです。門限は朝8時でしたが、9時とか10時に帰ってくることも。奥さんは芸人と結婚したのだからと、ある程度はあきらめていましたが、女手ひとつで子ども3人を育てたのはそうとう大変だったと思いますよ」(テレビ局関係者)
しかも、ヨネスケにはある“弱点”があった。
「以前、自分で話していたのですが、ヨネスケさんは実の父親を知らないんです。だから、子どもとどう接していいかわからなかったようなんです。怒っていいのか、ほめていいのかも。例えば、飲んで朝方に帰ると、子どもが学校に行く前で、子どもの友達が迎えに来ますよね。そうすると何か面白いことをしてあげなきゃいけないと『13日の金曜日』のジェイソンのお面をかぶって“殺してやるー!”なんて追いかけ回したり。ただ、それが子どもたちには不評で、ご近所の主婦には“ご主人は朝からお元気ですね”なんてチクリと言われる始末でした」(芸能レポーター)
こうして親子関係はギクシャクし、ヨネスケの足はますます自宅から遠のくことに。
「娘と洗濯物が別に仕分けられたり、お風呂も娘が先だったり。新聞も先に読むのは息子のほうで、居場所がなくなったみたいです」(前出・芸能レポーター)
そのかわり、東京のマンションでは気楽に過ごせたが、彼は寂しがり屋でもあり、しょっちゅう飲みに出かけていた。それも必ず、誰かを誘っていた。
「行きつけの店は新宿や浅草や銀座などにいくつかありますが、決して先に帰るようなことはない。それは相手に悪いからというのと、自分が先に帰って何か言われるのも嫌だからみたい。ただ、最近は昔ほど無茶をしなくなりました。ヘビースモーカーだったタバコもやめて、朝まで飲み明かすこともほとんどしなくなって。でも、きっと今さら夫婦でゆっくり過ごすという選択肢はなかったんでしょうね」(前出・落語関係者)
だとしたら、別の女性と過ごすという選択肢はどうか。前出・テレビ局関係者は、
「そもそも別居が始まったのも、女遊びのせい。水商売の女性が好きだし、もしかしたら年末とか来年あたりに電撃再婚もあるかもしれません」と言うのだが。
「ただ、特定の女性に入れあげているという話は聞いたことがないんです。好き勝手にやって、ずっと放っておいた奥さんから“離婚して”と言われて、かなり驚いたと思いますが“しょうがない”という気持ちだったのでは」
だから、ということか、その後の経済面での配慮も彼なりにしていた。
「千葉のマンションは、奥さんに手渡されたようです。奥さんは現在60歳で、これまでずっと専業主婦でしたし、これからは財産分与した預貯金と分割される年金での暮らしになるようです」(前出・落語関係者)