「ピュアな人でした。ぼくらにとっては信頼できる兄貴分的な存在。アツくて強面なんだけど、実は優しくて気遣いができる、少年の心を持ち続けながら大人になっていいんだなと思える、男として目標にしたい人でした」
今井雅之さんが毎週木曜レギュラーを務めていた『バラいろダンディ』(TOKYO MX)のプロデューサー大川貴史さんは話を続ける。
「テレビに慣れていない文化人の方が番組ゲストのときは、今井さんがとても気遣いしてくださるんですよ。劇団を率いていた方だから、いろんな立場の人の役割もご存じですし、ゲストのよさをより引き出すような話の振り方とか、一番いいところを生かしてくれていました」
一見、“俺が俺が”というような人に見えるが、その器の大きさに感動したという。
「番組に対して、いろんな方からのお叱りやバッシングがあったときでも、いつも“負けちゃダメだぞ”って励ましバックアップをしてくれました。お亡くなりになる直前は手術をされていたので、控室からは車イスでほとんど歩けなかったですし、座っているだけでもつらそうでした。ですが、スタジオに入ってからは、自力で歩かれるんです。役者として、また男としてのプライドだと思います。声も出せない状態でしたから、本番になった瞬間に、精いっぱいの声を出されていた姿には、涙が出そうでした」
番組の出演予定日に亡くなってしまった。
「亡くなった日に、今井さんの所属事務所の副社長さんが“お世話になったので、みなさんで献杯しよう”とお酒やおつまみを持ってきてくださいました。番組終了後に出演者とスタッフ全員が集まって献杯させていただきました」
体調がどんどん悪化する中で、視聴者から多数の励ましのメールが届いたという。
「視聴者にもこれだけ愛されていたんだなって感じました。メールの中には“うちの父はこうしたら治りました”って話があったり。日を追うごとに体調が悪化されましたけど、ぼくは必ず治るものだと信じていました。ただ、あまりの顔色の悪さに“今井さんが元気になるのが一番ですから、いったん休まれては”とお話ししたこともあったのですが、“最後まで出たい”と言ってくださって。番組に対しての、ものすごい愛情を感じました」
亡くなった当日には他の曜日担当のスタッフ総出で追悼VTRを作り、放送した。
「あれは、ぼくらなりの今井さんに対する感謝の気持ちでした。視聴者の方から“こんなに真心がこもった番組は久しぶりだ”という、とてもありがたい反響をいただきました。今でも信じられないですけどね、あんなに元気だった人が。最後の最後まで弱音を吐かなかったし、男の中の男でしたよ」
高校卒業後、俳優になるために、父との約束で陸上自衛隊に入隊した今井さん。
「飲みの席にご一緒したときは、日本の歴史や文化に詳しい方でしたから、毎回勉強させていただき、楽しみにしていました」
お別れの会は7月16日、東京都港区・東京プリンスホテル『鳳凰の間』で行われ、一般の献花は午後3時から3時半まで受け付けるという。