今年8月に行われた天気予報士の試験に、ジャニーズJr.のユニット『snow Man』の阿部亮平と、同じくJr.の岸本慎太郎が合格した。

「気象予報士の試験は1月と8月の年2回開催ですが、合格率は4~5%と、超難関なんですよ。物理や化学の知識は大学レベルで、計算能力も必要。記述式の問題もあるから、暗記するだけでは突破できません」(全国紙記者)

 狭き門を潜り抜けたジャニーズ初のお天気キャスターが期待されるが、“甘くない世界”と気象関係者は言う。

「通常は、すぐに仕事がもらえることは、ほぼありません。現在登録されている気象予報士は9343人。メディアで気象キャスターとして活躍できる人は1割と言われています。1度定着するとひとりの人が長く続けることが多いので、枠がなかなか空かないんですね。気象関連会社の募集も少ないため、資格を生かした就職も難しいです」

 その狭い枠を勝ち取り、今や圧倒的な支持を得ているのは天達武史。『好きなお天気キャスターランキング』(オリコン調べ)では通算5回も第1位に輝いている。

 しかし、最初から気象予報士を目指していたわけではなかった。

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ファミレスで働いていたころの天達

「デザイン系の専門学校を卒業しましたが、就活に失敗。学生時代のアルバイト先のファミレスで働いていたそうです。観光地にある店だったので、雨が降ると普段の10分の1しかお客さんが来ない。彼はアルバイトでしたが食材の仕入れも担当。

 天気予報を参考にして発注作業を行っていました。予報がはずれると食材が余ってしまい、店長に怒られることがたびたびあったんだとか。そこで、予報をアテにせず自分で勉強することに」(テレビ局関係者)

 22歳で勉強を始めたものの、その難しさから一生受からないと思ったという。が、ある女性との出会いが転機に。

「アルバイト先で出会った女性が勉強を教えてくれるようになりました。週末にまとめてやるのではなく、30分でもいいから毎日、勉強するほうが効率がいいというアドバイスも。実践するとメキメキ上達。実はこの女性は後の奥さんで、天達さんは“勝利の女神”と呼んでいますよ(笑い)」(前出・テレビ局関係者)

 資格を手に入れたのは27歳のとき。7度目の挑戦でやっと合格したが、就職がうまくいかずフリーで活動することに。チャンスがやって来たのは1年後だった。

「『とくダネ!』(フジテレビ系)が放送7年目にして気象予報士を起用することに。天達さんはオーディションで自分の名前をもじって“天気の達人です!”と元気よく自己紹介。さらに“『地震雷火事親父』の『親父』は、『大山嵐(おおやまじ)』という、台風を指す言葉から来ている”と話して知識をアピール。

 この話は気象予報士仲間の受け売りだったそうですが(笑い)」(前出・テレビ局関係者)

 ハッタリが効いて'05年10月から『とくダネ!』に採用。MCの小倉智昭が「アマタツ~ッ!」と呼びかけて登場するのが名物となった。

「これは打ち合わせで決めたわけでなく、小倉さんがパッと言ったんです。今でこそ定着していますが、開始当初は“気象予報士を呼び捨てにするなんて非常識だ”というクレームの声も多かったんですよ」(前出・テレビ局関係者)

 レギュラーの座を保ち続けるには、日ごろからの精進が大切。資格にあぐらをかいていてはダメなのだ。

「天達さんは、毎日テーマを決めて1分間で解説する練習をしているそうです。幅広い知識が身につくし、決められた時間にいかにわかりやすく情報を伝えられるかを心がけることで、解説力アップにもつながるんだとか。私服で出演しているのも彼のこだわり。

 野外から予報を届けることが多いので、どんな服を着ているかも天気の状況を伝える情報のひとつと考えているんです」(前出・テレビ局関係者)