イエローキャブという名前の「巨乳事務所」を知っている方も多いだろう。そんな事務所を立ち上げ、堀江しのぶに始まり、かとうれいこ、細川ふみえ、雛形あきこ、山田まりや、MEGUMIなどの人気タレントを世に送り出し続けてきた時代の寵児・野田義治氏をご存知だろうか? 栄枯盛衰激しい芸能の世界。これだけ連続してヒットするタレントを輩出し続けるのは簡単なことではない。今回の『エンタメヒットの仕掛け人』では、いまもサンズエンタテイメントで会長として活躍する野田氏にタレントの売り出し戦略について話を聞いた。
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大好きな牛乳を片手に自身の事務所でインタビューに応じる野田義治氏(撮影:竹内摩耶)

——そうそうたるタレントさんを発掘・育成されてきましたね。所属タレントの選考基準は、やはり胸の大きさが優先されていたんですか?

「雑誌のグラビアブームとときを同じくして、たまたま契約をしていた子が皆、ふくよかで胸が大きかったんだよ。不思議なことにね。

 男性誌だと『平凡パンチ』『プレイボーイ』からはじまって、漫画誌『ヤングマガジン』『少年サンデー』、それから『FRIDAY』や『FLASH』『FOCUS』などの写真週刊誌が出てきた時期だね」

—それは、80年代あたりのことですね。

「ただ、グラビアブームが来るとは思わなかったし、また当時は"グラビア"という言葉も一般的ではなかったし、脱ぐことに特化したタレントをつくろうなんて思わなかったからね。

 こちらは、まずはグラビアページにタレントを露出させて、顔と名前を一致させたうえで、なんとかドラマに持っていこうと思っていた。

 名前と顔だけでも世に出てさえくれれば、ほかのメディア露出経験のない子よりは、テレビやラジオの世界でも可能性が広がるだろう、キャスティングしてくれる側も使いやすいだろうと考えていたね」

——このグラビアブームが来たときはどう思いました?

「これはひょうたんから駒。当時、雑誌には多くのクライアントが出稿していて、表紙のすぐ裏の広告であれば数100万円もするような時代だね。そうすると、その広告と並ぶページにタレントを無料で載せてもらえるわけ。

 当時は雑誌も100万部とか売れていた時代でしょ? そんな雑誌に1週間に何度も掲載されたら、タレントの露出価値はかなり多くなる。お金に換算したらいくらだろうと考えた結果、こんなに美味しい仕事はないと考えて売り込みをしていた」

——まずはタレントさんのメディア露出を増やすことを重視したんですね。

「ただ、僕はグラビアをやらせたあとのことも考えていて、どの女の子にも必ずレコードやCDを出させるようにしていたんですよ。グラビアは“訓練場”だと捉えていた。テレビタレントや歌手になるためのね。

 かつてのように雑誌が元気だったころは、毎日のようにグラビア撮影があって、カメラマンから“このポーズいいよ”“表情いいよ”とか言ってもらったりして、これが勉強になっていたんです。今はこういう場所がなくなってしまった」

——どのような方が野田さんのもとでCDを出しましたか?

「雛形あきこ、MEGUMI、佐藤江梨子、歌えない山田まりやも出したかな。あの細川ふみえだって、歌唱力はあやしいけど、いま考えるととんでもない方に作詞作曲してもらっていたしね。僕はタレントを育てていくうえでグラビアばっかりやっていてもダメで、むしろレコードやCDを出したときにはじめてこの業界におけるデビューだと思っていたし」

——そのような売り出し方はいまも同じですか?

「いまは昔みたいに雑誌も売れないから、グラビアをやったとしても名前はあまり出ないよね。ただ、なくなったりはしないと思う。

 最近だと、そういったなかから橋本マナミとかが出てきているからね。だからいまだに胸の大きな女の子たちは、"グラビアをやったらすぐスターになれる"と単純に考えて、この業界に入ってくるけど、そんなことはあり得ない」

——胸が大きいだけではダメなんですか?

「そもそも胸だけでスターになった子はひとりもいないよ(笑い)。胸の大きさもひとつの個性としては大切だけど、喋りが面白かったり、変わった特技があるとか、なんらかのプラスαがないと特にこの時代では売れないと思う」

——そんななか、いま野田さんイチオシのタレントさんは?

「いつも聞かれたら、“全員だよ”と答えています。ひとりだけこの子っていうのは言えないんだけど、あえて言うならば中高校生の芦田美歩と、早乙女ゆうかな〜。若い子どもたちを大事にしていこうと思っていますよ。

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左=芦田美歩(あしだ・みふ)●1997年8月2日生まれ・京都府出身。特技はチアダンス(全米最大規模の大会で部門3位入賞)とピアノ。右=早乙女ゆう(さおとめ・ゆう)●1999年2月27日生まれ・東京都出身。特技は側転とフラダンスの現役高校生

 マネジメント側にはその子たちの人生を狂わせてしまうリスク、そしてそれにともなう責任だってあるから。やっぱりタレントさんはモノではなくて生身の人間。

 だから、採用するときは直接会って話しをするようにしてる。人の繋がりで預かった子もいれば、自分がいいな〜と思って入ってきた子もいるけど、どんな状況でも預かる以上は我々にも責任があるからね」

——生身の人間とモノとでは、その向き合い方は当然、違いますよね。

「そう、だから一番嬉しいのは“社長、結婚します!”って言われたときに心からほっとしますね。ほかの事務所は嫌がるかもしれないけど、俺にとってはね。やっぱりその感覚がないと無理ですよ。

 どこの事務所もそうだと思うけど、いわゆる家族みたいな愛情が根底にないと、タレントのために仕事を一生懸命やれないんじゃないかな」

——そこまで、頑張れるのはなぜでしょうか?

「この芸能界の人たちと話すことも好きだし、怒られることも怒ることも好きだしね、すべてが勉強になるのは大きなモチベーションになっている。

 でもね、カッコいいことを言って終わりたいんだけど、やっぱり最終的には女の子が好きってことです。ようはスケベだってことよ(笑い)」


野田義治(のだ・よしはる)●1946年富山県生まれ。1980年にイエローキャブを設立。堀江しのぶ、かとうれいこ、雛形あきこ、山田まりや、MEGUMIなどの人気タレントを育てた。'04年11月、イエローキャブを離れ、サンズエンタテインメントの会長に。