福島第一原発事故から5年の節目が間近に迫った先月24日、ある事実が発覚した。これまで東京電力が「ない」としてきた、核燃料が溶け落ちるメルトダウン(炉心溶融)の判定基準が記されたマニュアルを今になって「発見」。「気づくのに5年間かかった」というのだ。
福島原発は津波で最終的に全電源を失い、原子炉を冷やし続けることに失敗して温度が上昇し続け、核燃料が溶けて1~3号機までメルトダウンに至った。
短時間で代用バッテリーを集めたり、消防ポンプを用意したりするのは困難であったと思われる。1号機は全電源喪失で非常用冷却系も止まって11日夜、メルトダウンが起きてしまった。
幸いなことに2号機は非常用冷却系が生きていて圧力なども測れた。
「遅くても13日の夕方には消火ポンプが動かせる状態にあった。逃がし安全弁を開くには120ボルトの電源が必要なので車のバッテリーを集めて代用する。あとは手順書どおりに減圧して注水すれば、メルトダウンを防げたのです」(『社会技術システム安全研究所』主宰の田辺文也さん)
3号機はしばらくは非常用冷却系が生きていて、バッテリーも使え、何度かチャンスがあった。
「12日の午前11時すぎの時点で格納容器圧力上昇の徴候から、徴候ベースの手順書を参照していれば、バッテリーの残量で逃がし安全弁を開いて、ディーゼル駆動の消火ポンプを使った注水が可能だったはず。
そうすれば炉心の冷却を確保でき、メルトダウンは避けられた。また夜8時半にはバッテリー残量が減って水位不明となりましたが、その時点で兆候ベースの手順書を参照していれば、やはりガイドに従って減圧、注水できた。バッテリーは車のバッテリーで代用できたでしょう」(田辺さん)
事故現場で当時、優先的に行われていたのは『ベント』だ。格納容器の圧力が高くなって破裂するのを避けるため、放射性物質を含む気体を原子炉建屋の外へ放出する作業が繰り返されていた。
「ベントしていいと定められた基準以下の圧力にもかかわらず、延々続けていた。不要な放射能放出を引き起こしていた可能性が高い」(田辺さん)
なぜ誰も手順書を参照しなかったのか?
「運転員、特に当直長は運転訓練センターで定期的に訓練しているわけですし、手順書を熟知しているべきです。事故対策本部の安全担当チームも同様です。となると教育・訓練のあり方に問題があったのかもしれない。大事故が起きるわけがないとの先入観が幹部にも現場にもあり、シミュレーターまで使った徴候ベースの実効的な訓練は行われていなかったのではないか」(田辺さん)
田辺さんによれば、手順書に従わないで重大な損害をもたらした場合、原子炉等規制法の違反にあたり、刑事罰になる可能性が高いという。
これまでに東電、政府、国会と民間の各事故調査委員会による報告書が提出されているが、手順書無視という重大な疑惑についても検証が必須。それなしに事故の教訓は得られず、生かされることもない。
NPO『環境エネルギー政策研究所』所長の飯田哲也さんが警告する。
「福島原発では『免震重要棟』という地震の揺れを軽減できる建物が偶然、3・11の半年前に完成していました。ここがあったから、かろうじて采配を振るえた。
だが、再稼働した川内、高浜は、免震重要棟の整備を理由に認可を得たにもかかわらず建設計画を撤回。再稼働を申請した多くの原発でも、計画途中で放棄されている。福島の教訓に学ばず、国民の健康や安全を省みないで再稼働が進められています」