「母親として、愛子には幸せな人生を歩んでほしいというのが、心からの願い」
2002 年の海外訪問前の記者会見で、雅子さまはそんな親心を吐露されたことがある。
伊勢神宮の臨時祭主を務めた黒田清子さんは紀宮時代に、美智子さまとの「母娘ふたり旅」と「定例ご参内」を経験され、「女性皇族」としての自覚を深められた。皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡辺みどりさんは語る。
「紀宮さまが初等科から大学までの間、一般国民の生活を体験するために美智子さまとおふたりで6回、全国を旅されました。また、紀宮さまを含め、当時の皇太子ご一家は毎週末に皇居を訪ね、昭和天皇、香淳皇后と食事をされる習慣もありました。両陛下と日常的に接することで、お子さま方への“帝王学”になるからです」
しかし、平成になってからは、そのような機会もかなり減ったようだ。2006 年12月には、陛下も愛子さまとの交流がないと述べられたことがあり、2008 年2月には、ご一家の皇居への参内が少ないと当時の宮内庁長官から異例の苦言もあった。
「雅子さまのご病気が原因だと思いますが、愛子さまのお出ましは、ご静養のときの駅頭でのお手ふり程度です」
そう危機感をもって話すのは、宮内庁担当記者。
「愛子さまは昭和天皇が眠る武蔵陵墓地へのお参りもまだしたことがなく、4月の中等科入学式のとき報道陣に中等科での生活を“楽しみにしています”と挨拶されたことだけが大きく報じられました。それほど国民との距離がある。今後はもっと公の場へのお出ましを増やしたほうがいいと思うのです」
皇太子さまは、愛子さまの学校行事に熱心に参加されるなど“イクメン”。それだけに、もっと国民と距離感が近くなる機会はあると思うのだが。