17日、東北地方で最大震度4と5強を記録した2つの地震。午前の地震では津波注意報が発令され、岩手県沿岸部では約6300人が避難した。
3.11の被災者らを不安の渦に巻き込んだ今回の地震だが、思えばここ1年間、中・大規模の地震が頻発している。すべて3.11の余震なのか? いつまで我慢すればいい? 大地震誘発の危険性は?
17日、東北地方で最大深度5強の地震が相次いで発生
2011年の東日本大震災から、来月11日で丸4年を迎えるというその矢先。今月17日、東北地方の悪夢を呼び覚ますかのように、2度の大きな地震が襲った。
1度目は午前8時6分ごろ、青森、岩手、宮城、秋田の4県で震度4、2度目は午後1時46分ごろ、青森で震度5強、岩手で震度5弱を記録。東北新幹線は一時運転を見合わせ、午前の地震では岩手県に津波注意報が発令され、沿岸部では約6300人が避難した。
東北大学・災害科学国際研究所の遠田晋次教授は「3・11の余震のひとつでしょう」との見解を示し、気象庁が午前と午後の地震に関係はないと発表したことについては異を唱える。
「3・11から約4年がたつ中で、体感できる地震は少なくなっていっているように思えますが、実はマグニチュード(M)2から4くらいの小さな余震活動は続いていました。福島の原発がある浜通りなどでは、3・11以降、地震活動が活発です。余震は本震マイナス1くらいの規模が平均的に起こりますから、3・11の余震は、M8くらいのものが起きても、おかしくありません」
午前の地震は、本震のときに地面がずれた部分の周辺で起きた余震だという。
「午後の地震は、午前のそれと近い場所で同日に起こっています。3・11直後も、秋田沖や長野北部で、その日のうちに地震が誘発されました。今回の場合も、広い意味で余震でしょう」
武蔵野学院大学の島村英紀特任教授も、今回の地震を3・11の余震ととらえており、
「どちらも大陸プレートと海洋プレートの境界で起きる、海溝型地震です」
その特徴について、こう説明する。
「午前の地震は、震源の深さが約10㌔㍍と浅く、津波が起きやすい。午後の震源の深さは約50㌔㍍ですが、陸に近かったため、陸地の揺れは震度5強まであったんです」
さらに今後の余震の発生について、次のように見通す。
「3・11以降に起こっている余震の数は少ないくらいなので、むしろ今後、震度5、6レベルの地震が続いても不思議ではありません。100年以上続いてもおかしくない」
生活をするうえで、100年単位で物事を考える機会はほとんどないが、地震を考える場合は、地球規模の物差しで測ることが求められる。
「今まで起きた地震は、日本に人類が住み始めて、記録を残せるようになってからの分しかわからない。統計の数字に惑わされず国内どこでも起きると思っておくべき」
と島村特任教授が指摘するとおり、いつどこで起きるかわからないのが地震の怖さ。そして地震は、次の地震を誘発する。
30年以内に7割の確率で発生する南海トラフ地震、今回の地震との関連性
内閣府が30年以内に70%の確率で発生すると警戒する南海トラフ地震、いつ起きても不思議ではないといわれる首都圏直下型地震と、今回の地震は地下でつながっているのか? 関連性はあるのか?
島村特任教授は、3・11によって「地下がリセットされた」と地殻の変動をとらえ、北海道十勝沖から房総半島にかけての太平洋岸で、地震発生の可能性が高まっているととらえている。しかし、
「最悪のパターンは、海溝型地震が関東の陸の下で起きた場合、いわゆる首都圏直下型地震です。首都圏はM8、地方はM7でもおかしくありません。1923年の関東大震災規模の地震が、起こるかもしれません」(島村特任教授)
当時よりも現代のほうが人口密度ははるかに高く、当時被害を受けた三浦半島から小田原あたりはすっかり様変わりした。関東大震災当時とは比較にならないほど大規模被害に見舞われるかもしれない。
南海トラフ地震の場合はどうか。島村特任教授の口調が、熱を帯びる。
「東海、東南海、南海地震がすべて連動し、南海トラフ地震として起きる可能性が高い。関東は震度5くらいで、普通の家は倒壊しないと思います。しかし、静岡、和歌山など地方の被害は大きく、(経済や生活への)影響も長引くでしょう。真冬の夕刻、火を使う時間帯が、一番危険。火の手があっという間に広がります。政府は、南海トラフ地震の死者数を32万人と想定していますが、見積もりそのものが、あまり意味がありません」
そこで地震調査委員会の資料をもとに、昨年1月1日時点での、震度5強以上の揺れが起こる確率分布地図を作成。そこに直近1年間で発生した震度5弱以上の地震ポイントを重ねたのが左にある地図だ。
これを見ると、必ずしも発生確率の高い、色の濃い地域で地震が起きているわけではないことがおわかりだろう。地震は、時と場所を選ばずに襲ってくる。
今年1月、発生20年を迎えた阪神・淡路大震災は、まだ寝ている人も多い早朝の時間帯だった。
3・11は午後2時46分ごろ。時間帯によって被害想定は変わるが、新幹線の脱線、高速道路の損壊、木造家屋の倒壊や火災、竜巻のような火柱が襲う火災旋風、海抜が低い地域の水没危機、地下鉄や地下街への大量の浸水など、あらゆる危険性が、わたしたちの命に束になって襲いかかる。
道路1本で分かれる生死。紙一重の運命が、地震によってもたらされるのだ。
「地震の強さは震源からの距離と震源の深さで違ってきますが、大切なのは住宅が立つ地盤と周辺環境。軟らかい堆積物の上は、かなり揺れます」(遠田教授)
と指摘。阪神・淡路大震災の際、地盤の悪い神戸では被害が拡大したが、3・11の三陸地方は硬い岩盤の上にあったため、家屋の倒壊はほぼなく、壊滅的打撃は津波によってもたらされたことを、その証拠にあげる。
「地盤の揺れやすさによって、震度は1、2くらい簡単に変わります。平野、盆地、河川だった土地などは軟らかいので、せめて建物の補強は必須でしょう。新しく家を建てるなら、丘陵地や山のほうが地盤が硬くおすすめです。自分の家がどんな地盤の上にあるのか調べて、対策を打っておきましょう」(遠田教授)
揺れ以上に、財産や生命を一挙にのみ尽くす津波の脅威は、3・11のニュース映像でさんざん脳裏に刻まれた。
今月17日午前の地震で、気象庁は津波注意報を発令した。
「津波の避難に関する発表は、多少大げさに出されるかもしれませんが、信じて避難すべき」
と遠田教授。島村特任教授はこう注文を出す。
「気象庁は考えられうる最大の津波情報を出しますが、津波の沖での大きさと、実際に陸に届いたときにどれくらいの大きさになっているのか知る方法を開発しなければなりません。警報を信頼できるものにしないと、いざというときの危機感が鈍ってしまいます」
地震が起き、津波がこようとも、私たちの対策のかなめは、何があっても生き延びることに尽きる。
「家や家財を捨てても、命だけは守る覚悟を持ってください」
と呼びかける島村特任教授は、もしものときの備えを、次のようにレクチャーする。
「家族や職場の人と、災害が起きたらどのように連絡をとるか、どう動くかなど、普段から話しておくことが大事です。パッと持って逃げるものを、まとめておきましょう。市販の非常用持ち出し袋ではなく、自分専用の処方箋や生活必需品などを、職場でも家庭でも準備しておくべきです」
家や家財はなくても生きられるが、水と食料がなければ、命はつなげない。緊急避難の時間が、一体どれだけ続くかわからないが、
「首都圏などは3日ほどで救助や支援物資の支給が始まると思いますが、地方は3日では救援が来ないと考えたほうがいいです。1週間分くらい準備しておくのが安全です」
と島村特任教授。
短期的には、電気や水道、ガスのない生活が待ち受ける。トイレの水も流せない。電話も使えない。家が復旧するまでには、どれだけの時間がかかるのか、わからない。
「阪神・淡路大震災から20年たっても、住居に苦労している人もいます。被害は甚大かつ長引くことを、心しておいてください。ちょっとした地震に慣れてしまうことが一番怖いです」(島村特任教授)
平和な暮らしを一瞬にして壊滅させる大地震。最悪のケースに備え最善を尽くしておくことが地震後の生活を素早く立て直すための第一歩。備えあれば憂いなし、だ。