『恋づくし 宇野千代伝』は、明治生まれの作家・宇野千代の生涯を艶やかな恋模様を通して描いた長編小説。著者の工藤美代子さんは、20年以上にわたって活躍し続けているノンフィクション作家だ。
これまで多くの人物の人生を追い、ノンフィクション作品として発表してきた工藤さんだが、宇野千代というテーマとは不思議な縁で巡りあったという。
「2011年にお亡くなりになったノンフィクション作家の辺見じゅんさんから、10年ほど前に突然、お電話をいただいたんです。まったく面識はなかったのですが、“ちょっと工藤さんにお願いしたいことがあるから、お会いできない?”と言われ、ドキドキしながらお目にかかると、宇野千代をテーマに書くことをすすめられたんです」
ふたつ返事で引き受けたものの、なかなか執筆に着手できないまま辺見じゅんさんは他界してしまった。
「締め切りに追われれば原稿を書けるのですが、書き下ろしとなると、なかなか原稿に向かえない性格なんです。ただ、辺見さんとの約束は、ずっと心の片隅に引っかかっていました。そんなときに『婦人公論』から連載の依頼をいただいたので、宇野千代で書きたいと提案してみたんです。当時の編集長が大賛成してくださったこともあり、ようやく辺見さんとのお約束を果たすことができました」
執筆に際しては、ノンフィクション形式にするか小説にするかで悩んだという工藤さん。結果的には小説という形を選んだ。
「調べれば調べるほど、宇野千代は男の人との性愛が原動力になっている女性であることがわかったんですね。女としての宇野千代がなにを見て、なにを感じ、どんな喜びや苦しみを味わいながら生涯を生きたのかを描きたいと思ったとき、ノンフィクションは創造が許されないジャンルなので、タブーのない小説なら“女・宇野千代”が書けると思ったんです」
とはいうものの、小説の執筆はほとんど経験がなく苦労の連続だったという。
「ノンフィクションやエッセーの原稿とは使う筋肉が違うというのでしょうか。普段の原稿と比べると、倍以上の時間がかかりました。でも、執筆を通して大きなエネルギーを得られたと感じています」
■たくましくひたむきに人生を謳歌
宇野千代は最初の夫と婚姻関係が続いている最中に作家の尾崎士郎と同棲を始めて結婚。尾崎士郎と離婚後は画家の東郷青児と同棲し、別れた後は作家の北原武夫と再々婚している。
「尾崎士郎も東郷青児も北原武夫も、宇野千代と暮らしていたころは無名で貧しくてヒモ同然でした。彼らは彼女と時間を過ごす中で素晴らしい成長を遂げて、一流の作家や画家になったんです。現在でも、旦那さんを出世させたという奥さんはたくさんいます。でも、3人もの男を育てた女性は、宇野千代以来、出現していないように思います」
私たち現代の日本人女性は、宇野千代の人生から学ぶことが少なくない。
「“うちの夫は甲斐性がないから私は不幸”とか、自分の不幸せを夫のせいにする女性って多いですよね。でも、違うと思うんです。宇野千代は自分の責任で男を選び、誠心誠意尽くして男を育てています。それが彼女の幸せでもあったのでしょう。3人の男たちは、富や名声を得るとそろいもそろって千代を捨てて若い娘と一緒になり、子どもをつくっています。でも彼女は恨みごとなど言わず、彼らの子どもたちの面倒までみているんです。女としての度量の大きさを感じます」
工藤さん自身、宇野千代の生涯を追体験する中で人生の意義を学ぶことができたと語っている。
「採算なんて度外視した愛情の大盤振る舞いは、本当に勉強になりました。私たちはついつい、“こんなに親切にしてあげたのに”“あんなに尽くしたのに”って、人に見返りを求めてしまいがちですよね。でも、宇野千代は損をしっぱなし。愛情というのはエネルギーとお金が変化したものですから、彼女はものすごい無駄遣いをしているんです。でも、たくましくひたむきに生き続け、多くの素晴らしい作品を残しました。なにより、宇野千代という人間そのものがひとつの芸術だと思うんです」
宇野千代から影響を受けた結果、それまでの価値観が大きく変わったともいう。
「資産運用はどれがトクかとか、離婚でいくら慰謝料をとれるかとか、現実的なことに目を向けることも大切だと思うんです。でも、細かいことや先のことを考えずに、自分が生きたいように生きることが一番の幸せなのだと思いました。私は65歳ですが、この年齢になって改めて、お金なんてなんぼのものかと思い知らされました」
本作に込めた工藤さんの思いは、次の言葉に集約されているといえるだろう。
「宇野千代は、日本女性の財産のような存在ですから。この本を読んで、遠慮をしたり計算したりするのではなく、ひとりの女性としてのびのびと生きようと思ってもらえたらうれしいです」
■取材後記/著者の素顔
実は工藤さんご自身も、宇野千代に負けず3回の結婚歴があるそう。最初の結婚は1週間で離婚を言い渡され、2度目は留学の際に現地で日本文学を教えている男性に求婚されたのだとか。「42歳で離婚し、ひとりで強く生きていこうと思って、離婚の報告をした時、結婚を視野に入れて付き合ってほしいと言われたのが今の夫です」。取材スタッフ一同、工藤さんの人生にも驚きの連続でした。
(取材・文/熊谷あづさ 撮影/近藤利幸)
〈著者プロフィール〉
くどう・みよこ●1950年、東京生まれ。チェコスロヴァキア・カレル大学を経てバンクーバーのコロンビア・カレッジ卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞受賞。『ラフカディオ・ハーンの生涯』三部作をはじめ、『香淳皇后 昭和天皇と歩んだ二十世紀』『海燃ゆ 山本五十六の生涯』『悪名の棺 笹川良一伝』『快楽 更年期からの性を生きる』『なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか』など著書多数。