2013年3月28日午前8時ごろ、奈良県橿原市の中学1年・A子さん(当時13)が、自宅から徒歩数分のマンション7階から飛び降りた。母親(46)が洗濯物を干していると、自宅の固定電話が鳴った。ナンバーディスプレイには学校の番号が表示されていた。
「娘さんはもう家を出られましたか?」
内容がショックすぎて、その先の会話は覚えていない。その日、A子さんが所属するテニス部は試合があった。しかし、A子さんは寝坊して起きてきた。母親が家事をしていると、A子さんがリビングのドアを開けた。
「ママ……」
「どうしたの?」
「今日、試合やった」
練習ならば午前8時半に家を出れば間に合う。しかし、試合ならば急ぐ必要がある。A子さんはやや元気がなさそうに見えたが、母親の頭に浮かんだのは「お弁当を用意しないといけない」ということだった。
「すぐ作るから、その間に用意しといて」
「ユニホームがない」
「あるよ。あとで(部屋に)見に行くから」
いつもならお弁当のほかに菓子パンを持たせるが、急だったため用意できず、おにぎりを作った。A子さんが洗面所にいるのが見えた。ユニホームを着ていた。
「ほら、あったやん」
元気が出るように母親は少しオーバーに言い、A子さんを送り出した。
「気をつけて行ってきいや」
そんな矢先の電話だったのだ。母親は父親と一緒に奈良県立医大病院に車で駆けつけた。マンションから落ちたと聞いてケガを心配した。2階くらいから落ちたのだと思っていた。
「大ケガや。いっぱい骨折してるんや。車イスになっても、私がずっと看るから」
しかし、7階からの転落と聞き、母親は目の前が真っ暗になった。午前10時ごろ、血のついた手袋をした執刀医が目の前に現れた。
「もうこれ以上、娘さんを傷つけることはできません」
「意味がわかりません。傷つけてもいいです。助けてください」
母親は叫んだ。しかし、祖母(母親の実母)が背中をトントンと叩いた。そこで、A子さんが亡くなったことが理解できた。後から聞いた話だが、1度は心臓が動いた。心臓マッサージをしたが、再び動くことはなかった。
A子さんが亡くなった翌日の夜、学校で緊急保護者会が開かれた。会を欠席した保護者の1人が自宅までやって来て、こんなことを言った。
「きっと蝶々かトンボを追いかけて落ちたと思うねん。そう思ってあげて。自らこんなこと(自殺)をする子やない」
不審に思った。直後に開かれたテニス部の保護者会で、その保護者は「今、XX(A子さんの名字)さんのところへ行ってきました。A子ちゃんは、蝶々かトンボを追いかけていたと言ってました」と発言したという。なぜ、事故と思わせるようなことを言うのか……。のちに公表された報告書で、この保護者の娘がいじめの加害者と認定されていたのだ。
母親は学校長に会いに行った。生徒へのアンケート調査をお願いしたが拒否された。家庭内の噂が流れていたことが影響したのだろうか。
"母親が殴っていた""飛び降りたマンションの下から父親が見ていた"─そんな根も葉もない噂が出回っていた。
「大津市のいじめ自殺事件でも、いろんな噂が流れていましたから。結局、事実ではありませんでしたが」
ようやくアンケートが実施されたのは5月17日。結果の開示にも時間がかかり、母親らがマスコミに公表できるようになったのは回収から3か月後だった。
実は、いじめの疑いは最初からあった。A子さんが亡くなった翌日の夜、親族が集まった。その中の1人が「いじめじゃないか?」と疑っていた。飛び降りたマンションの通路にA子さんの携帯電話が残されており、その中に未送信メールがあったからだ。
〈みんな呪ってやる〉
A子さんは3姉妹の末っ子。近所の小学生からは「お姉ちゃん、遊ぼ」と慕われる面倒見のいい女の子だった。運動神経がよくて足が速く、明るい性格。どんな思いでこの文面を打ったのか。
LINEでの悪口などのいじめを母親が知るのは告別式の後だった。同級生の女の子が「私のせいでこうなった」と事実を告げた。ほかにもクラス内でのいじめや部活内で暴力があったとの証言が舞い込んできた。
「いろんないじめが重なっていたのではないか」
と母親。
生徒のアンケートには、普段のA子さんからは想像できない目撃情報が書かれていた。
《(仲が良い)3人から無視されたり、避けられたりしていた》
《グループから2回も仲間外れにされていた》
仲のいい女の子グループでいじめのターゲットになったようだ。さらに部活でも、
《(部活で女子の)先輩から膝でお腹を蹴られていた》
亡くなる数日前、A子さんは部活のテニスコートの土をかき集めて砂山のお墓をつくり、「私が死んだらここに入れて」と話していたという。
家庭内の噂も書かれていた。アンケートに書かれていることがすべて本当かどうかはわからない。市教委は当初「いじめと自殺の因果関係は低い」との見解を示していた。何が事実でどうすれば自殺を防げたのか。きちんと検証するため、中立の調査委員会は立ち上がったはずだった。
’13年7月10日、調査委は初会合を持った。しかし、メンバーには市側の顧問弁護士が入っており、遺族との訴訟対応を意識したような構成だった。さらに、市教委は調査委に対して「遺族が予断をもったことを言っている」などと抗議していたという。調査委は遺族と対立した。
「地域が(真相究明のために)協力できない状況になりかねなかった」
調査委と遺族側は信頼関係を築けず、結果、顧問弁護士(この時点では契約は解除されていた)は自発的に辞職。ほかの3人の委員は解任された。
調査は遅れた。生徒たちへの聞き取りは、’13年11月に新しい調査委員会(新調査委)が発足してからになった。
「生徒たちの記憶が新鮮なうちに聞き取って、記録がされていたら、より詳細な事実がわかったはず」
さらに母親が残念だと感じたのは学校側がA子さんの異変に気がついていたことだ。担任は’12年12月、A子さんの様子についてテニス部の顧問に伝えている。
「XX(A子の名字)の様子がおかしいのですが、部活動中でも様子をみてください。クラスでもめごとがあった」
顧問もA子さんの変化には気づいていた。部活前、仲よしのメンバーと職員室によく顔を出していた。しかしA子さんだけ顔を出さなくなった。
仲よしのメンバーから離れて1人になっていた。元気な様子がなくなっていった。翌’13年3月になると部活への意欲をなくしていた。
中学入学後の家庭訪問のとき、母親は担任教諭に、
「どんな小さなことでもいいから、いつでも連絡をください」と言っていた。
母親は振り返る。
「いじめがあったことをちゃんと伝えてくれていたら、(亡くなった当日に)お弁当を"持っていきや"と言わず、休ませた。そう言ってしまった自分に腹が立つ」
新調査委がまとめた「調査報告書」は三回忌が過ぎた今年4月23日に公表された。報告書は自殺の原因を「友人関係の変化やトラブル、部活動など学校生活におけるストレス、家族関係の葛藤によるストレス」などと結論づけた。
LINEでのいじめは認定された。友人のタイムラインでは、
《ほんま、うざい。消えてよね》《KYでうざい。さよなら》
と書かれていた。
名指しはしていないが、気になったA子さんは回し手紙で、
《あのタイムラインは誰のこと?》
と聞いてみた。
すると、
《A子のこと》
と返ってきた。
そうした悪口もあってか、3月6日、A子さんは自分のタイムラインでこう書いている。
《ぁー学校めんど。笑/あいつらとおんなし空間におるだけで吐き気がするゎ…》
悪口や仲間はずれなどのストレスがピークに達していたのかもしれない。ただ、母親は閲覧できない設定だったため、気がつかなかった。
母親はA子さんの日記を提出した。’12年10月6日に始まり、延べで10日も書いてないが、12月12日の日記にはこう書いてあった。
《(いじめ加害者を名指しして)いらない子なのかな? 死ねるものなら死にたい》
ただ、日記の最後には、
《話を聞いてもらってよかった。人に優しく》
ともあった。
「日記には母親への悪口も書いている。でも、思春期だから誰でも不満はあるはず。真相究明してほしいとの思いで、日記はすべて提出した」
しかし、その思いは十分報われたとはいいがたい。母親は、報告書のバランスの悪さを感じている。
「虐待は認定されなかったが、その検証は十分にしている。クラスのいじめも検証され、認定されている。一方で、部活動での出来事(テニスコートでお墓をつくったことや先輩からの暴力など)は、ほとんど検証されていない」
母親は、元気がなかったA子さんを思い浮かべる。1月の授業参観でのことだ。
「授業参観は欠かさなかった。教室に入るとき、いつもはお互いを確認すると、合図をしていた。しかし、そのときはそっけなかった。"大人になったのかな?"と思っていたが、気づいてあげられていたら……」
報告書は、いじめについての共通理解の重要性、いじめ早期発見のアンケート、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの活用など、いくつかの提言をしている。
そして、提言を実行するための監督機関の設置を検討対象にあげた。
しかし、5月27日、森下豊市長は市議会の文教常任委員会で、「特別な監督機関は断固として反対。偏った物の見方の提言がされたことに不満を持っている」と答弁した。
新調査委が、市や市教委を「公正中立ではない」と指摘したことに不満があるようだ。
母親は「調査に協力してくれた同級生や保護者には感謝したい」と述べる一方で、「報告書がおかしいと言う時期ではない。なぜ、そんなことを言うのか」と怒りをあらわにする。
A子さんの遺影は、いつまでも静かに微笑んでいる。
〈取材・文/ジャーナリスト渋井哲也〉