日本の国土の0.6%しかない土地に、在日米軍基地の74%がひしめく沖縄。普天間基地の移設問題が取りざたされる中、辺野古を「唯一の解決策」とする国に対し、翁長雄志沖縄県知事は辺野古への埋め立て承認の取り消しを示唆。また沖縄県議会では、埋め立てに必要な土砂や石材について、県外から搬入することを禁じる条例が成立。翁長県知事を“援護射撃”している。日本政府とアメリカ。2つの強大な権力を相手に、理不尽な闘いを強いられてきた沖縄の人たち。明るくたくましく、また楽しそうに映るのはなぜだろう?

 『週刊女性』本誌の取材班がこの目で確かめてきた。

女たちが繋ぐ反基地の闘い。記者が見た「辺野古」

 9時30分。沖縄県庁前にある県民広場には『島ぐるみ会議』の幟がはためいていた。辺野古への基地建設に反対する県議会議員、実業家、市民らでつくる団体が毎日、那覇から直行バスを運行しているのだ。

「どちらからですか?」

 初老の男性に話しかけられた。週3回は辺野古で座り込みをしているという。

「翁長知事は日米安保を支持する・しない、保守・革新という主張は抑えて『オール沖縄』の精神で勝った。ヤマトは何かあったら分断しようとしてきたけれど、今は分断しようがない」

 この日、同じバスに乗り込んだのは23名。40代から70代までと幅広く、北海道、千葉、名古屋など県外からの参加者も目立つ。辺野古まで往復1000円、片道1時間半の道のりは不思議と長く感じない。

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シュワブのゲート前につめかけて基地建設に抗議する辺野古の人々

 米軍基地キャンプ・シュワブのゲート前に近付くと、道路を挟んだ向こうに、ブルーシートで覆われたテントが目に飛び込んでくる。

「今日は波が高いから、埋め立ての海上作業はしていない。台風のおかげ」

 そう言うと、那覇市の70代女性はにっこり。

「これまでに100回は来た。『島ぐるみバス』に乗ると、みんな言いたい放題。“たっぴらかす”ってわかる? 沖縄の方言で叩きのめすって意味。70年間、ガマンしてきたことがここで爆発してる」

 目の前にある基地を指さして、「もとは戦争中の収容所でね、まだ遺骨がいっぱい埋まってますよ」と教えてくれたのは、沖縄市の60代女性。

「事故があってもアメリカ兵は罪にもならない。そこにあるフェンスの向こうはアメリカ。逃げ込めばなんでもない。沖縄ではいつも経験していること。憲法無視とか、民意の無視とか、安保法案の前からずっとですよ。今、本土の方が感じていることをここでは70年間も感じてきたんです」

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フェンスから向こうは米海兵隊の占有エリアにあたり、日本の法律は適用されない

 テントで座り込みを続ける人、テントの前で三線を奏でる人、メロディーに合わせて歌う人、踊る人。ざっと100人はいるだろうか。意外にも緊迫感はない。なごやかな雰囲気だ。

 テントの隅で座り込みをしていた、つばの大きな、日除けつきの帽子をかぶった女性に声をかけた。

「小さな子どもがいる友達が持たせてくれたんです。自分のぶんまで頑張って、と。“辺野古帽”って呼んでます」

 女性は那覇市に住む40代。基地のことは、若いときはあまり考えなかった。

「生まれたころから基地があったから、あるのが当たり前で。やっぱり、少女暴行事件が大きい。被害に遭ったのが私だったらと、急に身近な問題に感じられた」

 沖縄への基地集中にはもちろん反対だが、県外移設も望まないと言い切る。

「沖縄で嫌だと思うものを向こうに持って行ったって、向こうでも、やっぱり嫌だと思うはず。基地はなくすしかない。私に子どもはいないけれど、子どもたちの未来のために許すわけにはいかないんです」

普通に子育てしたいお母さんたちの戦い

「子育てに追われていると忙しくて手が回らない。そんなお母さんたちにとって、情報を知る唯一の媒体がテレビだったりするのに、安保法制の強行採決が国会中継されなかったら、自分たちの危機になかなか気づけませんよね」

 そう話すのは名護市在住の渡利馨子さん(39)。育児や介護で時間がとれずデモや集会に参加できなかったり、沖縄ゆえの濃密な人間関係ゆえのしがらみで、身動きしづらかったりする。ただ昨年7月、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたときから、募る不安が確かにあった。

 なんかおかしいよね。これから日本はどうなっちゃうんだろう……。渡利さんは親しいお母さんたちと話し合った。喧々諤々。周りのお母さんにも声をかけてみた。ほかの人の話も聞きたい。そして“普通の母ちゃん”5人で『「名護で話そう、政治や憲法のこと。」の会』を立ち上げた。

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ツイッターの告知経由や口コミでの参加者が多かった『「名護で話そう、政治や憲法のこと。」の会』

 2週間でイベントの場所を決め、ツイッターで告知。初回テーマは「平和憲法改正の不安、わが子は戦争に行くのか」。おじい、おばあから子連れの夫婦まで、託児所つきの会場には約20人が集まった。

「日本は本当に戦争をするの?」「安保法案を廃止にできる?」。顔を合わせるのも初めてという人たちが次々に疑問の声をあげる。こうして会場から出た声をもとに、弁護士のレクチャーを交えて議論していく。

「不安を言い出しにくい雰囲気というか、わからないと言いにくくなっている風潮があるのかなあ、と。誰かと話したいけれど言えなかったりする空気に、まずは風穴を開けたいんです」

 と、同会メンバーの金井宏美(38)さん。威勢のいい主張、大きな声の持ち主が“正義”となってしまわないよう気を配った。

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『「名護で話そう、政治や憲法のこと。」の会』立ち上げメンバーのお母さんたち

 レクチャーを熱心に聞いていた参加者の1人、名護市の具志堅勝子さん(76)に話を聞くと、「自分たちは年だから、政治家たちにはかなわないさ、本当は」と言いながらも、憤りを隠さずにこう続けた。

「主人の母は子どもを3歳で亡くしている。戦争がなければ3歳でなんて死なないですよ。戦争ができる世の中にしちゃいけない、基地もいらないと死ぬまで言っていました。なのに首相は平気で基地を作って、弱い者を苦しめ続けている」

 また別の参加者も、

「沖縄で、戦争で身内を亡くしていない人はほとんどいない。慰霊の日の追悼式で、安倍さんは参列者から帰れと言われていたけれど、あれはみんなの本心です」

 沖縄では今も戦争が身近にある。70年前の地上戦で4人に1人の県民が亡くなり、戦争につながる基地も残存し続けているからだ。その隣で沖縄の人々は日々生活し、子育てをしている。

 再び渡利さんが言う。

「ただ普通に子育てしたいだけなんです。でも、それがすごく難しい。お母さんたちの当たり前の願いがかなわない。それでも沖縄だから、絶対に乗り越えられると思っています。沖縄に日本の縮図があるから、ここでもし解決できたら、広がるんじゃないかって」

 誰も排除しない。力で強引に押し切ろうとしない――。安倍政治とは真逆の民主主義が、女性の活躍が、沖縄には根づいていた。


《取材・文/樫田秀樹、渋井哲也、「沖縄問題」取材班》