戦争と軍隊と性暴力。重いテーマだ。でも現実だ。琉球併合から沖縄戦、アメリカ統治から本土復帰を経て今なお続く基地問題に至るまで、歴史的に検証を重ねたドキュメンタリー映画『沖縄 うりずんの雨』。少女暴行事件の加害者が実名で、顔をさらして登場する衝撃的なインタビューが話題を集めている。沖縄と日本を、そして母国であるアメリカをよく知る監督・ジャン・ユンカーマンさんに取材した。

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 最初に沖縄を訪れたのは1975年のこと。学生時代にベトナム反戦運動をやっていたりしたので、その延長で行ったんです。当時からアメリカの問題として沖縄を見つめていました。

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映画『沖縄 うりずんの雨』は8/15(土)より東京・ポレポレ東中野にてロードショー。大阪・第七藝術劇場、名古屋・名演小劇場、沖縄・桜坂劇場にて公開中、以下全国順次公開

 映画で取り上げた沖縄戦や基地の問題は、残念ながら、アメリカではあまり知られていません。アメリカは世界じゅうに基地を持つ権利があるという意識が強いし、世界の自由と安全を守っている国なのだから、基地が必要だと思い込んでいる。

 また沖縄は“戦争の戦利品”という意識がいまだにあるのでしょう。だから基地を返さなくていいと思っている。日本政府も返せと強くは言いません。

 安保法制の行方が心配されていますが、武力で問題を解決しようとするのが集団的自衛権。それも日本はアメリカと一緒になってやろうとしています。でも僕が思うに、アメリカはずっと戦争をし続けている国で、しかも全部、失敗に終わっているんです。

 沖縄は日本なのに、基地のフェンスの中は完全にアメリカ。そこから外に出るとき、どうしても住民を見下す目線になる。自分たちは強くて特権的な権利を持っているという意識のなかで、’95年の少女暴行事件が起こったのだと思います。

 この映画のなかで、加害者の米兵は“なぜ事件を起こしてしまったのか、わからない”と言っています。でもアメリカで同じことをするかというと、しないでしょう。沖縄だからレイプの誘いに乗ったのです。

 もう1人の首謀者が言った、“帰国する前にやってしまおう”という発想は恐ろしいけれど、アメリカは沖縄の人たちを二流市民という感じで扱ってきたし、本土への復帰後も事実上の占領が続いています。長いスパンで沖縄を差別的に見てきたことは、性暴力の事件と決して無関係ではない。

差別は許さないというプライド

 沖縄だったら許されるという意識は、僕は日本人の中にもあると思う。’60年代には、沖縄にある米軍基地は日本全体の5割を占めていたのが、’70年代になると7割以上に増えました。でも、ちょっと待ってと本土の人たちは誰も言わなかった。

 例えば、安倍首相の地元の山口県に74%の米軍基地が集中しているという状況はありえないでしょう。山口県の人も、多くの日本人も許さない。でも沖縄には現実に基地が集中している。その意味で差別的な意識があった。

 それでも最近は、本土でも辺野古の基地反対運動が起きたりして関心が高くなっているし、沖縄もこの10年で特に変わりました差別は許さないというプライドを持ったら、後戻りできません。妥協できないし1歩も引かない。それが『オール沖縄』につながった

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記念碑『平和の礎』には沖縄戦没者全員の氏名が刻まれている(『沖縄 うりずんの雨』より)

 政府は“沖縄の人たちの理解を得るために努力します”と繰り返し言っています。でも、彼らのいう理解とは、賛成するという意味。多くの人たちは理解したうえで反対の選択をしているのです。

 民主主義だったら、その選択を尊重して政策を変えるべきなのに、それをしない。小さい規模では辺野古の問題で、大きな規模では集団的自衛権で、まったく同じことをやっているのだと思います。


《取材・文/樫田秀樹、渋井哲也、「沖縄問題」取材班》