■大人になっても母に縛られる娘たち

 幼いころから母に疎まれ、言葉の暴力を受けてきた千遥。大人になった今も母に怯え、憎みながらも逆らえずにいる。一方、早くに父を亡くして母に女手ひとつで育てられた亜沙子は、週末に母とランチに出かけるのが習慣。時には男性とのデートより母との約束を優先するほどの仲よし親子だ。そんな千遥と亜沙子に、それぞれ結婚話が持ち上がった時、母との関係も大きく動き始めて――。

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 唯川恵さんの新作小説は“母と娘”ならではの複雑な関係性を描いた物語。

「ずっと前から、母と娘の物語を書きたい気持ちがあって。でも自分が若いころは、娘の視点しか持てなかったんですね。こうして娘がいてもおかしくない年代になり、ようやく母の気持ちも理解できるようになって、今なら両方の立場から物語を描けるだろうと思いました。母と娘の関係性は、2つに分かれます。ひとつは、母の愛が欲しかったのに、もらえなかった娘。もうひとつは、母の愛が重すぎて潰されそうになっている娘。どちらか片方だけを描いても、母娘の物語としては書き足りないと思い、両方のタイプを主人公にすることにしました」

 唯川さんが言う“2つの関係性”のうち、前者にあてはまるのが千遥で、後者にあてはまるのが亜沙子ということになる。母から愛をもらえなかった千遥は、32歳になった今も母の呪縛から逃れられない。母にひどい言葉を浴びせられるたび、心にあいた穴を埋めるかのように物欲に走る。ブランドのバッグを買ったり、高級マンションに暮らすためなら、年上の愛人からお金を援助してもらうのも平気だ。ようやく普通の恋人ができても、“この人を結婚相手として紹介したら、母を満足させられるだろうか”といったことばかり考えてしまう。

「千遥は男性とも女性とも、まともな人間関係を築けない。母から愛されず、社会の最小単位である家族の中で自分のポジションを見つけられなかったために、その他の関係もどう築いていいかわからない。“この世で自分を一番愛してくれるはずの母に嫌われたら、もう私は誰からも愛されないのではないか”という不安もある。だから千遥は、とにかく母親に愛されたいんです。“母親に愛されない限り、自分の人生は始まらない”と思っているから、どんなに虐げられても離れられないんです」

 一方の亜沙子も、母の存在抜きには他の人間関係を築けない。母からの過剰な干渉を負担に感じつつも、母がすすめる相手と交際を始める。そして言われるままにその男性との結婚を決め、結婚後も母と同居することを受け入れるのだ。

「亜沙子のことを母親に束縛されすぎだと感じる人もいるかもしれませんが、結婚相手を選ぶ時、ひとり娘や長女だったら“自分の母親も大事にして、同居してくれる人がいい”と考えるのは普通のことじゃないでしょうか。もし母親の束縛を振り切っても、結局“こんな自分を母はどう思っているだろうか”と一生考え続けると思う。亜沙子の場合に限らず、母と娘って、大人になってもずっとどこかでつながっているんです。母は娘を通して自分を見ているし、娘も自分の中に母を見つけてしまう。私も若いころは父親似だと言われたのに、最近は鏡を見て“お母さんがいる!”と思うくらい似てきました。作中に“もしかしたら母と娘とは身体のどこも繋がっていないシャム双生児なのかもしれない”という亜沙子の独白がありますが、まさにそのとおりだと思いますね」

■母親も、つらさを抱えている

 この小説を読んだ人は、母という存在に縛られ続ける千遥や亜沙子に共感しながら読むかもしれない。だが唯川さんは、「母親が抱えている思いも読み取ってもらえれば」と話す。

「最近は母娘の関係を分析した心理学系の書籍もたくさん出ていますが、読んでみると“こんなひどい母親に育てられた娘はかわいそう”という視点で書かれているものが多い。でも私は“母親だってつらいんだよ”と言いたいんです。自分を振り返っても、若いころは母の言葉に傷ついたこともありましたが、よく考えると自分も母に暴言を吐いたりしているんですよね。でも、そのことはすっかり忘れてしまう。娘のほうも、どこかで“母には何を言っても許される”という自信や甘えがあるのでしょう。そもそも母親って、何をやっても褒められない。娘がちょっとグレたりすると、すぐに周囲は“母親のしつけが悪い”と非難する。子どもが多少問題を起こしたとしても、ある程度の年齢まで無事に育て上げたら、それだけで母親はものすごく褒められていいはず。なのに“母親は子どものために生きて当然”と思われて、すべてを引き受けなくてはいけない。それはとてもつらいことですよね。そんな母親の気持ちも伝わればいいなと考えています」

 はたして千遥と亜沙子は、結婚を機に母と向き合うことができるのか。そして、母の影響下で進む結婚話の行方は……? “そうなるか!”と、うなってしまう思いがけないラストまで、きっと読者も自分の母娘関係を重ねながら、一気に読んでしまうはずだ。

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『啼かない鳥は空に溺れる」1500円/幻冬舎

■取材後記「著者の素顔」

 昨年、作家デビュー30周年を迎えた唯川さん。「最近ようやく仕事量をうまく調節できるようになり、今は小説を書くことをすごく楽しんでいます」とのこと。

また、「以前はよく“唯川恵は恋愛小説家だ”と言われましたが、そのイメージからも解放され、冒険できるようになった」とも。その言葉どおり、夫婦間のDVをテーマにしたり、怪談小説に挑戦したりと、近年は意欲作が続く。次回作は実在の人物がモデルの小説を準備中とのこと。こちらも楽しみ!

(取材・文/塚田有香 撮影/斎藤周造)

〈著者プロフィール〉

ゆいかわ・けい 1955年、石川県金沢市生まれ。1984年に作家デビュー。2002年、『肩ごしの恋人』で第126回直木賞受賞。2008年、『愛に似たもの』で第21回柴田錬三郎賞受賞。『燃えつきるまで』『雨心中』『テティスの逆襲』『途方もなく霧は流れる』など著書多数。