餓死して7年以上とみられる齋藤理玖くん(死亡推定当時5歳)の白骨遺体が、自宅で発見されたのは昨年5月のこと。殺人罪などに問われた元トラック運転手の父・幸裕被告(37)は、理玖くんを置いて家出した母親(33)に責任転嫁するような証言を繰り返した。その母親が裁判で語ったのは……。
「事件はニュースで知りました。気が動転してしまって、ひとりではどうしていいかわからず、お世話になっている知人のところへ行って、弁護士さんと一緒に警察の方に会いに行きました。(息子が餓死するのなら)迎えに行きましたし、こういうふうにはならなかった。……私に責任があると思います。後悔しています」
横浜地裁で厚木事件の第8回公判が開かれた10月1日、理玖くんの母親は証言台で声を詰まらせ、涙ながらにそう語った。18歳で高校を中退し、デキ婚で齋藤幸裕被告の子どもを産んだ幼妻だった。
証言台の周囲には巨大な衝立が用意され、傍聴席からは母親の姿は見えない。しかし、被告や裁判員からは確認できる。裁判員は食い入るように母親の姿を見つめた。
そして……理玖くんの父親で夫の幸裕被告は、あろうことか被告人席で寝ていた! 午前・午後にわたる公判のほぼ半分近い時間を寝た。わが子に満足な食事を与えず餓死させた疑いがかかっているのに、よく眠れるものだ。背もたれに体重をあずけ、足を伸ばしてリラックスしていた。
9月28日の第6回公判でも居眠りしている。刑事や検察の取り調べを録画したDVDが流されたとき、被告は計約30~40分は眠っていた。それに気づいた60代ぐらいの女性裁判員は、何度も被告の様子をうかがっては、露骨に眉間にしわを寄せていた。寝不足なのか、興味がないのか、妻の顔を見たくなくてふて寝を決め込んだのか。
被告は本人尋問で妻に対するDV疑惑を「夫婦ゲンカだ」と否定した。しかし、妻は反論した。
「彼が一方的に殴ったり、蹴ったりしました。交際当初からそうでしたが、結婚してさらにひどくなりました。セックスは家出直前までほとんど毎日、ムリクリやられていました。イヤでイヤでしょうがなかったのですが、抵抗すればまた殴られるので……」
夫に内緒でコンビニや風俗で働いたこともあったという。
「彼の給料は知らなかったのですが、手渡される額が毎月5万~10万円ぐらいでしたから、それだけでは足りなくて、理玖に新しい服も買ってあげたかったし、自分でも自由になるお金が欲しかった」
「元気だから」と会わせてくれず…
アルバイトの間、理玖くんは託児所に預けた。早朝に預けて、夜中に迎えに行く生活がしばらく続いた。なぜ、実家を頼らなかったのか?
「実家は、高校を中退して結婚することに反対で、私がムリに出ていったから。里帰り出産では1か月ほどいたのですが、母親が厳しい人で、そのあとでまたケンカしたので、頼れませんでした」
やがて風俗のアルバイトが被告にバレて、不倫関係を疑われて暴力を受けたという。
「お客さんと店の外で関係はありませんでした。暴力はそれだけが原因ではなくて、いつも些細なことから暴力になるんです。それが怖くて、怖くて。もちろん、離婚届も渡したのですが、破られてしまいました。暴力に耐えきれず家出したんです」
家出したのは、理玖くんが3歳のとき。被告には何も告げず自宅アパートを出た。
「手持ちはわずか数万円。しばらくは女性専用サウナやマンガ喫茶で生活しようと思っていたので、理玖は連れていけませんでした。自分が自活できるようになって、アパートなどを借りられる段階になったら、理玖を迎えに行こうと。彼は仕事で忙しいので、理玖は彼の実家に預けるだろうと思っていました」
家出して以降、残してきた理玖くんを取り戻そうとしたのか─。
「理玖のことが心配で3〜4か月後、1度、アパートに戻ったことがあります。そのときは元気でした。もちろん引き取ると言いましたが、“渡すことはできない”と言われ、それ以上はまた暴力になるので言えませんでした」
その後も頻繁に電話連絡をとった。夫と会う必要があるときは、暴力が怖いので人通りの多い駅前にしたという。
「理玖を連れてきてと言ったのに連れてこず、“大丈夫だから、元気だから。でも、お前には会わせられない”と言うだけで……」
妻は法廷で、母親として責任を果たせなかったことを悔いた。しかし、至らない点は多々あっても、できるだけのことはしたとも訴えた。
第三者として妻のママ友が証言に立った。被告の暴力から逃れるため、彼女と理玖くんを数日間、自宅にかくまったことがある。
「離婚して、実家に帰ることをアドバイスしましたが……。当時は彼女も若かったので、ときどき、育児が面倒くさくなるのではないかと思っていました。でも、理玖くんを抱っこしたり、連れ歩いたり、好きな服を着せたりしていたので、ものすごく愛していたとも思う」(ママ友)
暴力を振るう夫と、なぜ正式に離婚しなかったのか。裁判官の質問に対し、ママ友は長い沈黙を保ったあと、
「結局は、愛しているからなんじゃないかと思います」
と語った。
夫婦間の暴力は理玖くんにも影響を与えたようだ。3歳になっても、「パパ」「ママ」以外の言葉をほとんど話すことができなかったという。原因のひとつを妻はぶちまけた。
「彼(被告)は、理玖には手を出さなかったのですが、1度、理玖が見ている目の前で、私に暴力を振るったことがあって、それ以来、理玖の言葉がさらに減ったのです」
しかし、このときも被告は聞こえていないような表情を浮かべるだけだった。
第8回公判では、被告が逮捕時に同棲していた女性も証言台に立った。
「被告に出会ったのは、平成17年('05年)の春ごろ。当時、アルバイトをしていたキャバクラで知り合いました」
被告は以前、この女性とは理玖くんの死亡後に出会ったと証言している。'05年は理玖くんが生きていた。妻が家出した約半年後に出会っていたことになる。どちらかがウソをついている─。
〈フリーライター山嵜信明と『週刊女性』取材班〉