小田桐和寛というドラマーがいる。
28歳。まだまだ若い。が、凄いのである。
現在ニューヨーク在住。ニューヨークでは主に演奏と作曲を中心に活動している。ジャンルを問わず、ファンクやR&B、ラテンもやるという。
若手のジャズ・ミュージシャンの拠点、ウエスト・ヴィレッジのレストラン&カフェ「Garage」や、「Blue Note Jazz Club」「Zinc Bar」などでプレイ。ジャムセッションで、お店にプレイヤーたちが集まり、知らない顔同士でその場で演奏もする。そこに超が付くほど有名なプロフェッショナルなプレイヤーたちが高確率で現れ、運がよければ一緒に演奏もできて、すぐ知り合いにもなれるようだ。
そうやって日夜修行を積んでいる。
まだまだ若い彼の音は正確にリズムを刻み、それでいて面白い。
いろいろなことをやってくれる。
これが若いということなのか、新しい音楽なのか……。
おじさんのボクとしては、非常に興味深い。
音階のないドラムで、こんなに音域を感じられるのは小気味いい。
彼は国立音楽大学演奏科打楽器専攻在学中、国立音楽大学ニュータイド・ジャズオーケストラでドラムを担当する。2010年の41回公演まで「山野ビッグバンド・ジャズコンテスト」最優秀賞を3年連続で受賞した。
大学で渡辺貞夫氏、小曽根真氏、山下洋輔氏に師事。卒業時に、最優秀者に送られる「山下洋輔賞」を受賞、卒業した。そして、小曽根真氏の推薦でバークリー音楽大学に特待生で留学、首席で卒業した。
まあ、こう書くだけでどのぐらい凄いのか、文字の上ではわかっていただけたと思う。
ボクが小田桐和寛というドラマーと出会ったのは、2010年5月にOAされた『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』(NHKEテレ)というテレビ番組だった。
息子の同級生が出演しているというので、観た番組だった。
そこに国立音楽大学のニュータイド・ジャズオーケストラの一員として小田桐和寛が出演していたのだ。そんなに彼をメインで扱う場面があったわけではなかったが、「ドラムズ&ベース編」全4回を毎回、観ずにいられなかった。
あのドラムの子はどんな活動をしているのか……フェイスブックや知人からたどって活動を楽しみになって見ている。渡辺貞夫クリスマスライブやNew Yearコンサートに出演したり、ビーン・タウンJazz Festivalに出演したり、こんなに若いのに頑張っているなあと。ちょうどボクが身体が動かなくなった頃だったので、ベッドの上で追うようになった。
余談だが、ボクが倒れてからというもの、音楽や絵画、デザイン、小説に映画、芝居……いや、芸術面だけではなくて、いろんなものが、以前より研ぎ澄まされて、身体に入ってくるような気がしている。
昔から強く興味もあった。
が、今はずっしりと頭からシャワーを浴びているように、身体に、心に入ってくるのだ。
よいものは感動の渦となって、身体のなかを走る。
小田桐君のドラムを聴いたときビビッときたのだ。何かが……。
バークリー音楽大学を卒業した後も、小田桐君はニューヨークに残り音楽活動を続けている。
今年の2月には、すぎやまこういちさんが作曲した『ドラゴンクエスト』サウンドトラックのレコーディングにも参加した。
先月、「小田桐寛之 トロンボーンリサイタル」という知らせが、めったに更新しない小田桐君のフェイスブックに載った。「トロンボーン 小田桐寛之」、「ピアノ 小田桐恵子」、その下に小さく、「賛助出演 小田桐和寛」と書いてある。
「小田桐君、日本に帰ってきて演奏するんだな」「絶対、聴きに行きたい」と思った。東京文化会館ならば、大丈夫だろう。車椅子のボクが聴きに行ける場所もめったにないことだ。
和寛君の父、小田桐寛之氏は東京都交響楽団(首席トロンボーン奏者)、東京トロンボーン四重奏団などに所属され、洗足学園大学教授、ソロアルバムや金管アンサンブルなどのCDも多数リリースされている。母も小田桐寛之氏の伴奏を常に務めているピアニストである。
今回のリサイタルも家族ではあるが、「家族としてではなく一人ひとり音楽家として認め合ったアーティストとして開いたものだ」と父・寛之氏はいう。
「どうですか?息子さんの演奏は?」と聞くと、「リハーサルの回数を追うごとに良くなってきています」と父親の顔ではない顔で話す。
トロンボーンのリサイタルというのも、ボクにとって初めての経験であった。
始まるとすぐ、その世界に入っていった。P・スパークの「トロンボーン協奏曲」、トロンボーンと伴奏のピアノだけだった。
D・リープの「ソング・アンド・ダンス」がバラードのように始まったとき、心が震えた。涙が出た。小田桐和寛君は演奏していた。
控えめに、しかし、随所に華麗なテクニックを披露していた。
小田桐君にも聞いてみた。
「親子で演奏するのはどうでしたか?」
「もう何十年も演奏してきたふたりの出来上がっている音楽に入っていくのは勇気のいることだ」と答える。でも、「こうして違うジャンルのクラシックをやるのも楽しい。もっといろいろ経験してみたい」。そうも話してくれた。いわゆる英才教育だったのかと思ったが、小田桐家はかなり自由だったようだ。紆余曲折あり、和寛君もドラマーとしての道を歩むようになったようなのだ。
が、一家が音楽家なのだ、リズム感と音感は、おなかの中にいる頃から十分、体験していたに違いない。
うらやましい限りだ。
10月14日、小田桐君はまたニューヨークに帰っていく。12月まではGarageでの演奏が月に2回ほど、その他、ウエスト・ヴィレッジの「Bar Next Door」、ハーレムにある「Silvana」などでのライブを予定しているそうだ。作曲もしつつ、そこから自分のアルバムの制作につながれば、と精力的だ。2015年より、ドラムメーカー・CANOPUS(カノウプス)と海外エンドーサー契約も結んでいる。
将来が楽しみなドラマーだ。
もっともっと経験を積んで、いい音に磨きをかけてほしい。
〈筆者プロフィール〉
神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari