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 十分な食べ物がなく餓死したとみられる齋藤理玖くん(死亡推定当時5歳)の白骨遺体が見つかってから約1年4か月。

 殺人罪などに問われた父親で元トラック運転手・齋藤幸裕被告(37)の裁判が驚きの展開をみせている。逮捕当時に同棲していた女性が出廷し、被告の証言内容を否定する話を始めたのだ。

 『週刊女性』(10月20日号)ですでに報じているとおり、齋藤幸裕被告が逮捕時に同棲していたA子さんは、法廷でこう証言した。

「被告に出会ったのは、平成17年('05年)の春ごろ。当時、アルバイトをしていたキャバクラで知り合いました」

 被告はA子さんとは理玖くんの死亡後に出会ったと証言している。'05年はまだ理玖くんが生きていた。どちらかがウソをついている。

 A子さんの年齢はわからないが、声は若々しい。法廷で明かした経歴と照らし合わせると20代後半ぐらいだろうか。A子さんの証言が続く。

「当時、私は美容師の専門学校の学生でした。パリで研修があり、その費用を稼ぐために厚木市のキャバクラでアルバイトをしていたとき、被告が客として来たんです」

 携帯電話の番号とメールアドレスを交換し、ほどなく付き合うようになった。デートは次のようなものだった。

「週に1回程度、ゲーセンに行って、居酒屋でお酒を飲んで、あとはラブホテルに夜7~8時ごろ入って泊まり、翌日の昼ごろに出ていました。費用はほとんど向こう(被告)持ちで、1万5000円から2万円ぐらいでした」

 交際の証拠として、ゲーセンで撮ったプリクラが裁判官らに示された。'05年9月の日付入りなど計4枚。キスをしている写真もあったようだ。

 A子さんは翌'06年3月、専門学校を卒業。美容師として働き始めた。性交渉の頻度が増し、デートなしのラブホテル直行パターンになった。

「そのころは週に2〜3回会っていました。夜8~9時ごろラブホテルに入って、お酒を飲んで、夜中の2時か3時にはホテルを出るという感じ。このときの費用は1万円から1万5000円ぐらいで、やはり向こう持ちでした」

 A子さんは被告が逮捕されるまで、妻子持ちの男性とは知らなかった。ある意味、ダマされて関係を持った被害者といえる。しかも、このころのデートは、A子さんは自転車で、被告はスクーターで“ラブホ集合、ラブホ解散”というものになっていた。

 被告はA子さんに対して申し訳ない気持ちがあったのだろうか。'06年12月ごろに、ふたりで東京ディズニーランドに遊びに行っている。A子さんが続ける。

「ディズニーへは5〜6回、被告と行っています。初めて行ったのがいつか覚えていなかったのですが、警察から、私が向こうにあてたメッセージカードを見せられ、それが1回目とわかったんです」

 それはクリスマスカードだった。ディズニーで撮影したツーショットにA子さんがメッセージを添えたものだ。

「そのとき(ディズニーに行った日)の被告ですか? 楽しそうでした。思い悩んでいるとか、沈んでいるとかは……ありませんでした。費用はほぼカレ持ちです。ディズニーには朝の8時ごろから夜の9時ぐらいまでいました。もちろん、その前も、そのあとも一緒にいましたけど」

 A子さんと一緒にいた時間と同じだけ、被告は理玖くんから目を離していたことになる。理玖くんは父親が不倫相手とディズニーデートを楽しんでいたことなど知るはずもなく、そのクリスマスの約1か月後に栄養失調で亡くなったとみられている。

<取材・文/フリーライター山嵜信明と週刊女性取材班、イラスト/スヤマミヅホ>