ここ数年、皇后美智子さまは「頸椎症性神経根症」で左肩から指までしびれるような痛みがでるときもある一方で、初夏のころから胸の痛みも訴えられるように。

 8月の精密検査では、心臓の筋肉に酸素や栄養を送る冠動脈に軽い狭窄が3か所見つかり、「心筋虚血」の可能性が捨てきれない状況だ。

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悪天候のなか、日帰りで豪雨被害のあった常総市を訪れ、被災者を励まされた(10月1日)

「宮内庁からは、皇后さまの負担軽減策も発表されましたが、予定されていた公務は基本的に変更されていません。9月下旬には和歌山県で開かれた国体に出席し、10月には大分県への泊まりがけ公務の前々日に、悪天候のなか豪雨被害のあった茨城県常総市への見舞いに日帰りでお出かけになりました。

 週末にお時間のあるときには、御所内でテニスをされることもあり、80歳を越えたとは思えない皇后さまの並々ならぬ精神力を感じることができます」(宮内庁関係者)

 そんななか、両陛下は来年の初めにフィリピンを公式訪問されることで調整が進んでいることが明らかになった。

 宮内庁担当記者が説明する。

「来年は、日本とフィリピンの国交正常化60周年にあたり、今年6月に来日したアキノ大統領が両陛下の訪問を招請し、両国政府が協議してきました。フィリピンでは第二次世界大戦中に日本と米国の戦いで多くの犠牲者が出ていることから、現地での両陛下による戦没者の慰霊も検討し、1月後半から2月初めの公式訪問で調整が進んでいます」

 秋篠宮家の次女・佳子さま(20)の初の宮中晩餐会出席が注目された席で、陛下(81)はアキノ大統領へのごあいさつで、戦争にも言及。

「多くの貴国民の命が失われました。このことは私ども日本人が深い痛恨の心とともに長く忘れてはならない」と述べられた。

 両陛下のフィリピン訪問は皇太子ご夫妻時代の1962年11月以来、53年ぶりになるが、ベテラン皇室ジャーナリストが当時を振り返る。

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訪問中止から約9か月後、フィリピン各地で歓迎を受けられた(1962年11月)

「1960年2月に皇太子(当時・浩宮)さまを出産された美智子さまは、幼い浩宮さまを残し7か月後に米国を訪問し、帰国の1か月後には、エチオピアやイランなど7か国を回られました。

 その後、'62年1月にパキスタン、インドネシア、フィリピンを訪問するご予定でしたが、陛下がインドネシアのバリ島で39度以上の高熱でダウン。同年11月に、改めてフィリピンを訪問されました。

 このころは、現地のホテルでお湯が出ないこともよくあり、過酷な日程に美智子さまのご負担が心配されました」

 それから半世紀余り─。美智子さまは82歳になる陛下を支えるため、南国へと飛び立つことになる。