村松友視さんが『老人の極意』という書き下ろしで出版された。

 人は年をとれば誰でも老人になることができるのか……これが、この作品をつらぬく巨大な謎かけである、そう冒頭に書かれている。

 同じ土俵で自分を語るのはたいへん恥ずかしいが、お許し願いたい。ボクは1999年に『輝く中年の星になれ!』という本を出した。もう40代を迎えていた時だから今思えば立派な中年だっただろう。

 だが、そもそも、いくつからが中年と呼ばれるというのか?

「なんだか最近、気が短くなった」

「細くなった太ももを実感する」

「徹夜仕事がきつくなった」

 そういう肉体的なことはちょっと若くはないと感じるのだが、やはり、そういう肉体のことだけで決められるものではない。

 どう年をとるか、どんな中年になっていきたいのかが、問題なのだ、そんなことを生意気にもつらつら書いている。

 あるお坊さんに「中年への入り口は生まれ変わりだ。35歳ぐらいが中年の入り口だと思うなら、神足君はおじさんの赤ん坊ということになります」と言われ、ボクはおじさん世界の駆け出しで「はいはい」の方法からいろいろ学んでいこうと思うようになった。

 人生の先輩と酒場で一緒にいるだけで、何か判った気になっていた。輝く中年になるべく、想像の翼を広げていた自分がいたことを久々に思い出した。

 いま、もう60歳になろうという自分がいる。このとき書いていた“輝く中年”に近づくことはできたのだろうか? 病気をして車椅子のボクは、少し早めに年をとってしまった気もする。

 村松氏は、実年齢よりも若く見えたり、老人らしからぬバイタリティを有していることなどが「老人でない」というのかといえば、それはまったく別次元のことで、10代の若者に聞けば「50歳以上の人?」、50代の人に聞けば「70歳ぐらい?」と言う。

「老人」という存在の定義がくっきりしているわけではなく、それ遥かなる地平に揺らめく幻の景色あって、定義などできるはずもない。自分のなかのイメージとのギャップと、どう折り合いをつけていくか……けれど、「これは老人の領域だ」という思いを与えてくれた方々が、村松さんの周りにいらっしゃった。

 その30人の方々の話を紹介してくださっている。

 どの方もたいへん魅力的である。

 ボクは読み進めていく間に、クスクス笑ったり、ちょっともらい泣きしたりしていた。こんな魅力的な老人になってみたいものだと、つくづく思うのだった。

 実際お会いした方もいたり、お会いしたこともないのにとても身近に感じていた方もいて、やっぱりこんな方なんだと、妙に納得して心にしみていく。

 30人の中に幸田文さんのお話があった。

 ボクは娘が生まれたとき、妻と7歳になった長男を前に演説した。

「幸田露伴の娘さんで幸田文さんという方がいる。その文さんはお父さんから家事全般の仕方やそのスピリッツまで教わって完璧にこなす女性だ。でも、それだけではなくって、本も書かれているし、自立している立派な可愛らしい女性でもある。ボクはこういう人に育ってもらいたいから、『文』という漢字を入れたい」

 そうして「文子」と名づけた娘がいる。

 そうなのだ。ボクはお会いしたこともなかった幸田文さんに憧れていた。村松さんは、文さんが銀行でもらってきたマッチにその季節ごとの千代紙を張って応接間の灰皿の上に置いていたと紹介されている。

 ボクはそれだけでも幸田文さんらしいエピソードだと思った。

 村松さんは編集者時代からそのマッチをいただいて帰るのが常であったが、ある日、急に幸田邸に伺った。そして、いつものように応接間に通されていつものマッチをつまみあげたのだが、その時に指に冷たい感触が伝わってきた。

「あんまり急に来るもんだから、急いで張ったのよ」

 そう文さんが言う。いつもそれを持ち帰るのを楽しみしているのに、失望させるのも不憫だと気を遣ってくださったに違いない。この気遣いから、村松さんより36歳も年上の女性の可愛らしさや少女のようないたずら心、独特の真面目さややさしさを感じたと書かれている。

 通天閣下の銭湯で見た薬湯の黄色い湯面から目だけ出している老人に、この人はその目でいろいろなものをみてきたんだろうな、と思う。黄色いクスリ湯と不健康そうな禿頭の肌色という渋み同士の色あわせの妙を、目の裏に貼り付けたまま銭湯から出てみると、「アホや、みんなアホや」と呟きを発している老人に出会う。

 どちらもその仕草や強烈な印象も、「老人」そのものの生きている赤裸々な姿なのだろう。

 ホテルのバーで出会ったご病気か何かで喋るのが不自由になってしまったご老人。その不自由な語りを理解できるように勉強されたバーテンダーもさすがに一流だと感心するのだが、仕事を続けるのは誰でもできるが遊びを続けるのは至難の業。ゆえに「仕事は才能を、遊びは天才を」という話を誰かから聞いた――そんなことを思い出したという。

 確かにそうだ。身体が不自由になって遊びを続けるというのは、天才的なものが必要だ。ボクは大きくうなずく。

 仕事を続けるよりも底力がいる。輝かしい中年に憧れていた自分も、こんな老人になれるだろうか? いつになってもとるにたらない若輩者でしかないのかもしれない。

 まだ老人の入り口に立ったか立たないか、微妙な年頃だが、またまた先は長い。先人たちの極意を学んでいきたいと思う。

写真左:『老人の極意』(村松友視著/河出書房新社/821円[税込])、写真右:『輝く中年の星になれ!』(神足裕司著/講談社/絶版だがamazonなどで入手可能)
写真左:『老人の極意』(村松友視著/河出書房新社/821円[税込])、写真右:『輝く中年の星になれ!』(神足裕司著/講談社/絶版だがamazonなどで入手可能)

〈筆者プロフィール〉

神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari