TPP0115

 炊きたてのごはんに味噌汁、納豆、焼き魚。おなじみの朝食を囲む食卓。そんな光景がTPPによって一変するかもしれない。私たちがあたりまえのように口にしてきた多くの食べ物が、今と同じ値段、同じ品質で手に入らなくなる可能性があるのだ。

 これまで日本では、輸入品に高い関税をかけて自国の農産物を守ってきた。

「輸入品が入ってくれば値崩れは防げません。うちみたいに小さな農家は品質を維持してブランド米を作る体力もない。後継者不足もあって、すでに自分たちだけでコメを作っている農家は少ない。減反政策も中止される。この先どうなってしまうのか……」

 岩手県のコメ農家・Oさん(82)がこぼした言葉は、いまや多くの生産者に共通する思いではないか。

「すでにTPPの影響が現場で出始めています」(東京大学大学院農業経済学・鈴木宣弘教授)

 そしてこう続ける。

「生産者にとっては大変な内容が決まったと言える。政府がすすめるような投資もできない、子どもにも継いでもらえない、もうやめるという人がすでに増えています」(鈴木教授)

 政府はコメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖の『重要5項目』について「守るべきは守った」(甘利明TPP担当相)と交渉の成果を強調する。だが、ふたを開けてみれば約3割が関税撤廃、農産水産物全体で81%が関税ゼロになる。

 この交渉結果に鈴木教授は憤りを隠さない。

「重要5項目の関税維持を求めた国会決議に違反しているのは明らか。そのほかの農産物も無税枠を作ったり、関税を大幅に引き下げたりして、ここまで譲れるのかというほど譲りまくっている。7年後の再交渉で、日本はさらに譲歩することになるでしょう」(鈴木教授)

 とりわけ打撃を受けるのは畜産だ。

「牛肉は関税38.5%が9%の引き下げ。安い輸入品につられて全体の価格も下がるため、高級な和牛も無傷とはいかない。もっと影響が大きいのが豚肉。安い豚肉で4割価格が下がると全体的に価格が4割下落します。収入が4割減るに等しい大赤字で経営分析からいけば、ほぼ全滅です」(鈴木教授)

 主食であるコメは、アメリカから7万トン、オーストラリアから8400トンの輸入枠が新設される。

「輸入枠を使えば、その分だけ何もしなくても日本に買わせることができる。アメリカは関税交渉をするより、この枠をジワジワ広げる方向で実利を増やしていくほうがメリットになると考えているのでしょう」(鈴木教授)

 輸入に相当する量を政府が備蓄米として買い上げるため、値崩れの影響はないとしている。

「どこかのタイミングで在庫を市場に出さなければならず、やはり需給緩和の圧力となって値崩れを招く。私の計算では、在庫が1万トン増えると、生産者価格が1俵(60キロ)あたり41円ぐらい下がります」(鈴木教授)

 こうした価格下落の影響を受けて、政府は生産額が最大2100億円の減少と見積もるが、『攻めの農業』による設備投資などの対策効果で相殺できると主張。

「ひかえめに計算しても農林水産物で1兆円、加工品で1.5兆円の被害が出る」

 という鈴木教授の見立てとは、ずいぶん異なる。

「『攻めの農業』の実態は、大農場を構えるような企業だけがわずかに生き残ればよくて、今まで頑張ってきた小規模農家はつぶれてもかまわないということ」

 セレブ向けの農業だけが生き残ると、何が起きるのか。鈴木教授は酪農を例に説明する。

「ニュージーランドの多国籍乳業メーカー『フォンテラ』は日本へ進出して、北海道の酪農家などに声をかけていっしょにビジネスをやろうともちかけています。乳製品は本国からすべて輸入、飲用乳だけ北海道で生産して、それを中国や韓国に売る計画もある。

 ニュージーランドとしては、日本より中国のほうが市場として有望だと思っているわけですから、乳製品も中国がどんどん買ってしまうとバター不足に陥ったときのように需要がひっ迫します。日本に回す分がなくなる恐れは十分ありえる」(鈴木教授)

 最終的には国産品は店頭の棚から消え、輸入頼みになり食料自給率も低下。

「地域の文化やコミュニティーも壊される。農村は荒廃します」(鈴木教授)

 水田に張られた水が風雨から土壌の浸食を防ぐように、農村では災害防止の知恵が培われてきたが、それも失われる。

「安全な食べ物を選べなくなります」(鈴木教授)