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■不慮の死を遂げた父、その足跡をたどる娘

 四国から東京へ向かうフェリーから、ひとりの男性が転落死した。男性は高度成長期に大手メーカーで企業戦士として人生を送った60代。家庭では2人の娘も授かり、人から見れば十分に恵まれていたように思える彼は、実は20年以上にわたってある女性と関係を持ち、家族を裏切り続けていた。

 なぜ父はこんな結末を迎えたのか。何かが心に引っかかった娘は、父が最後にたどった四国遍路を自分も歩いてみようと決意する。

 篠田節子さんの新作『冬の光』は、冨岡康宏というひとりの男の人生を通して人間が抱える虚無感や根源的な孤独を描く長編小説だ。

「実は私の知人のお父様も、60代で不慮の死を遂げましてね。しかも生前には、外に家族の知らない生活があったようだと。それを聞いた時、亡くなる直前のお父様の心象風景が目の前に立ち上がったのです。それをひと言で表すなら、“虚無感”でした。

 “どんな人生を送ったところで、結局人間の行き着く先は死なのだ”という虚無感は、誰もが青年期に抱いていたはずです。ただ、仕事や育児に追われるようになると、虚無感はどこかへ引っ込んでしまう。ところがそれらが一段落したころ、再び顔を出すのです。私も同じ経験があるので、康宏の人生を書きながら、みずからの寄る辺なさを突きつけられている気分でした」

 康宏は亡くなる前、四国八十八か所を巡るお遍路の旅をしていた。この“巡礼”というテーマも、今作で篠田さんが書きたかったことのひとつだという。

「以前ギリシャやキプロスを訪れた時、敬虔なギリシャ正教徒である巡礼者の姿を見て私が感じたのは、違和感と居心地の悪さでした。それは私が無宗教の日本人だからでしょう。でも考えてみれば、日本でも“巡礼”は行われている。その代表がお遍路です。信仰を持たない人間が“神なき巡礼”を終えた時、そこで何が見えるのか、あるいは見えないのか。それを描きたいと思いました」

 さらに、康宏の人生で大きな核となるのが、笹岡紘子という女性との関係だ。同じ大学に通っていた康宏と紘子は恋愛関係になるが、卒業後に2人は別れ、康宏は別の女性と結婚する。自立心が強くて周囲に敵を作りやすく、生涯独身を貫いた紘子に対し、妻に選んだのは典型的な良妻賢母タイプの女性。だが結婚後も、康宏と紘子の関係は途切れることなく続いていく。

「康宏と妻の関係は、最初からボタンをかけ違っているの。康宏は実用本意で妻を選ぶ。家事や育児をきちんとこなし、バブルにも浮かれず堅実に家計を管理するしっかり者。康宏は“妻を女性として尊敬できる”と言っていますが、そういうことを口にする男は、自然体で調子がいい(笑い)。奥さんのほうは言わずもがなの“稼ぐ男、ゲット!”。

 そんな夫婦がやがて訪れる人生の冬に破綻していく。かといって、紘子のように結婚制度自体を否定する女性とは一緒になれない。平成の今、若い人たちは、もっといい女と男の信頼関係を見つけつつあるはずなので、それが私の希望」

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■ソウルメイトは男女間でも成立する

 妻からすれば、長年にわたり逢瀬を重ねる康宏と紘子は“愛人関係”だ。だが篠田さんは、2人の関係を“ソウルメイト”と表現する。

「もし紘子が男だったら、すごく平凡な話なんです。同じ学校を卒業した2人の男性がいて、男Aは良識的に生きて社会的な成功も得ているのに対し、男Bは現実と折り合いをつけられず、破滅的に生きている。男Aは“いい年をして何をやっているんだ”と説教しつつも、男Bを見捨てたりせず、付き合いはずっと続いていく。これは現実でも小説でも、よくあるパターン。

 ところが男Bが女になると、周囲の反応はガラリと変わる。特に男Aの妻がその関係を知ったら、大変なことになります。でも私は、男同士の親友と同じ関係が、男女でも成り立つと思っています。康宏と紘子の関係は許せないという読者もたくさんいることは承知のうえで、本人たちが考えている関係性と妻や娘から見た関係性のズレを書きたいと思いました」

 たとえ家族同士でも、すべてを知っているわけではない。お互いに言わないことはあるし、見せない顔もある。それは誰しも同じではないだろうか。

「男性同士で集まって話しているのを傍から見ていると、別人格? と戸惑うほど、彼らは妻や女衆の前とは違う顔を見せたりしてます。どちらが裏でも表でもなく、家族にはあずかり知らぬ一面を持っている。

 でも、私たちにも男の知らない世界がありますよね。女友達が集まって、“旦那が死んだら、老後はみんなで一緒に暮らそう”とか、かなり現実的な相談をしていたり。生活の場は家庭だけでなく、それぞれ組織や集団に所属していれば当然でしょう」

 父の足跡を追った娘は、ある事実に突き当たる。だが、その娘も父の人生のすべてを理解できたわけではない。私たちは人生の虚無とどのように対峙すればいいのか。最後のページを読み終えたとき、その究極のテーマに読者自身が向き合うことになるはずだ。

■取材後記「著者の素顔」

「小説とは、答えを出してはいけないものだと思います」と話す篠田さん。確かに篠田作品では、「こうすれば前向きに生きられますよ」といったわかりやすい答えは提示されない。

「“これなら読者は感動するだろう”という安易な答えを出すことも、やろうと思えばできるんですよ。でもそれは作家の良心に関わるし、そんなぬるい小説にはしたくない。少なくとも、あとで自分で読み返して、土に埋めたくなるようなものだけは書きたくないわ(笑い)」

取材・文/塚田有香

撮影/齋藤周造

〈著者プロフィール〉

しのだ・せつこ 1955年、東京都生まれ。1990年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。1997年『ゴサインタン—神の座—』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、2011年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、2015年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞を受賞。