テレビ朝日報道の“顔”が一気に若返った。『ニュースステーション』時代の久米宏が18年半、そして古舘伊知郎が12年務めた大役を引き継いだのは、まだ30代の富川悠太アナウンサー。
「新人のころから“テレビカメラの奥には何百万、何千万という人がいるんだよ”と言われ、その感覚が身体に染みついています。とはいえ、番組に対する期待感や、いろんな意味で注目されていると思うので、今までとは違うプレッシャーを感じますね」
大物キャスター・タレントの2人に比べると、軽さや地味さは否めない。
「前任の久米さんや、古舘さんからのバトンだと思うとあまりにも重すぎて2、3歩も歩けないと思うので(笑)、まったく別物だと考えるようにしています。『報道ステーション』は120人以上のスタッフが一丸となって作っている番組。
僕はチーム力で勝負していきたいし、みんなの力を引き出せるキャスターでありたい。逆に言うと、自分がみんなに引き立てて、盛り上げてもらっているのもわかっているので、そこは思いっきり乗っかっていきたいなと」
さわやかな笑顔を浮かべ、自らの立ち位置を語る富川。キャスター就任1か月の手応えと意気込みを聞いた。
4月11日(月)に番組がリニューアルしてスタート、その週の14日(木)には最大震度7が観測された『熊本地震』が発生。古舘時代から事件や天災が起これば、真っ先に現場に飛んでいた富川は、15日(金)朝に熊本入り。16日(土)未明に本震を体験する。
「30分の間に、震度6強の揺れが2回、6弱が1回きました。いつまた大きな地震がくるかという不安感と恐怖の中、朝まで寝ずに取材をし続けました」
ヘルメット姿で、現場からニュースを伝える姿は“行動するキャスター”像を印象づけ、古舘時代からの変化を感じさせた。
「これは東日本大震災のときに自分が身をもって体験したことなのですが、ただ状況を伝えるのではなく、人の役に立ちたいという強い気持ちを持ってレポートする。それが、実際に役に立った手応えも感じたので、そこはやはり現場に入らないと、と思いました」
大きなニュースを報じたこともあり、放送開始最初の視聴率は週平均で12.7パーセント(※ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。
前任の古舘とは、スタジオと現場に分かれ、二人三脚のようにニュースを発信してきた富川。古舘が番組降板を発表したのが12月24日。発表の当日、古舘に会いに行き“(辞めることを)まだ信じられません”と富川は言い続けたという。
「今でも夏休みの代役をしているんじゃないかとか、信じられない気持ちが残っています。でも、古舘さんとはこの10年あまり年に最低4回、春夏秋冬のタイミングでご飯を食べて、2人きりでお話しさせていただく機会もいただきまして。古舘さんの背中を追い続けたいという思いでアドバイスをいただき、自分なりにいろいろ試してきました。
そんな中で突然、古舘さんが辞めると発表され、その後は誰がやるのかとなったとき、ここまで育てていただいた恩返しとして、『報道ステーション』の冠がつく限りは、ほかの人に任せたくないという気持ちが強かったです」
古舘から贈られ、自分の“芯”になっているのが“宿命に耐え、運命と戯れ、使命に生きる”という言葉だという。
「『報道ステーション』のキャスターを務めることは、生半可な覚悟でできることではありませんが、まさに運命と戯れるくらいの気持ちでやるのがいいのかな、と。使命というものはいくらでもあとからついてきますから」
国際的なジャーナリストの組織『国境なき記者団』が発表した、報道の自由についてのランキングで日本は、'11年の11位から'16年には72位まで後退してしまった。ニュース番組を取り巻く環境は厳しいが、それだけに注目を集めているともいえる。
「何を言われても僕たちは、ちゃんと取材して、しっかりと伝える。それがすべてだと思っています」
レポーター時代は月の3分の2は東京にいない生活だったという彼。キャスターになっての生活を聞いてみた。
「だいたい、帰宅するのは午前1時半から2時くらい。そこから録画しておいた『報道ステーション』と、他局の『NEWS ZERO』と『NEWS23』を、半身浴しながらiPadでチェックして、ひとり反省会です」
そんなときは、ビールを片手に1日の疲れをとるのかと思いきや……。
「いやいや、僕はお酒が飲めないんです(笑)。録画したものを見ると、寝るのは5時とか6時近くになりますね。そこで7時に子どもが起きてきて1回起こされ(笑)。また仮眠をとってから出社するというサイクルです。
新番組に対する妻の評価ですか? 子どもを寝かしつけている時間なので、途中までは見たと聞きましたが、まだ感想を1回も聞いてません。いちばん厳しい存在ですから(笑)、聞くのはちょっと怖いです」
まだ始まったばかりの“新生『報道ステーション』”。富川本人のキャッチフレーズは? の質問にはこう答えた。
「番組のキャッチコピーに“ぐっと近づく”というのがあるんですけど、まさにそれじゃないかなと。僕自身やスタッフも、古舘さんのとき以上に現場や視聴者にも、ニュースができるだけわかりやすくなるように、近づこうとしていますから。イメージ的には、“会いに行けるアイドル”のAKB48のように、身近な存在としての“報道番組の富川”になれればと思っています(笑)」
撮影/近藤陽介