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 その絶対的な歌唱力で“本当に泣ける”と話題の歌手、林部智史。今年2月にシングル『あいたい』でメジャーデビューを果たしたばかりだが、ライブのチケットが完売するほどの人気ぶりだ。

「自分でも、泣きそうになりながら歌っているときがあります。だから、そう言っていただけるのは本当にうれしいですね」

 そう語る彼の名前を知らしめたのが、『THEカラオケ★バトル』(テレビ東京系)。カラオケマシンの採点により、歌の実力を測るこの番組に、プロよりもうまいアマチュアとして出演。心にすーっと沁み込んでくる透明感のある美しく甘い歌声で、史上初となる連続100点を叩き出すと、2015年の年間チャンピオンに輝いた。

 美空ひばり、徳永英明らも持つという“1/fゆらぎ”という、ヒーリング効果のある特別な歌声の持ち主だが、本格的に歌手という職業を意識するようになったのは20歳を過ぎてからだという。

■“歌手になりたい”と口にしたことはなかった

「幼稚園のころから“歌手になりたい”と、ずっと思っていました。でも、口にしたことはなかった。周りに歌手になった人も、目指している人もいなかったので。あまりにも遠い世界で、なれるものじゃないと思っていました」

 ただ、林部少年の頭の中には、いつも歌が流れていた。ドラマの主題歌、CMソング。カセットテープに録音した自分の声で、小学校の校歌をハモってみたり、ボイスパーカッションを入れてみたり……。

 小学校5年生のころには、ビブラートができるようになるほど、独学で技術を勉強していた。

「当時、(高校生などがアカペラの実力を競う番組)ハモネプが流行っていたんです。その影響も大きかったですね。だからといって、録音したテープを番組やレコード会社に送るっていう発想はまったくなかったです。

 スポーツ一家だったので、小学校2年生からバスケット、水泳、バドミントンをやっていました。バスケットは、小・中学と県の選抜にも入っていたので、そっちを一生の仕事にしようっていう気持ちのほうが強かったですね」

 高校もバスケットの強豪校を目指した。スポーツ推薦枠を使わなくても合格できるだろうと周囲に言われて受験するも、残念な結果に。1年浪人して志望校に合格した。

 それほどに情熱を注いできたバスケットに別れを告げたのは、高校3年生のとき。身長も含め「この世界は才能なんだな」と、初めて限界を感じたという。

■心のバランスを崩し、原因不明の高熱に

 そして、看護助手である母の影響もあり、看護学校へ。

「進学してからやりたいことや、やりがいを探そうっていう甘い気持ちだったんです。いざ、実習に入ると、つらくなってしまって。

 あるとき、自分が受け持った患者さんが亡くなってしまったんです。悲しくて、涙が出ました。でも、看護師さんは泣かなかった。それが、不思議だなと思って。“最期の一瞬を看取らせてくれて、ありがとう”っていう気持ちからなのかもしれないですが、そうなる自分が想像できなかった」

 心のバランスを崩し、原因不明の高熱に悩まされた。引きこもる日々が続いていたとき、同じようなうつ病を経験していた姉に「おいで」と誘われ沖縄へ。居酒屋やリゾートホテルでバイトをしながら過ごした。

「両親に対して、自分自身が情けないという思いと、こんなに苦しんでいるのに、なんでわかってくれないんだという気持ちが入り交じっていました。だから、一緒にはいられなかった。

 リゾートホテルでバイトしている人って、挫折を経験した人が多いんです。似た傷を持つ人が集まる、あの環境が好きでしたね。そこには必ずギターがあって、歌うのは僕でした」

■ATSUSHIが卒業した専門学校を首席で卒業したが…

 そして、転機が来る。沖縄から新潟、北海道・礼文島のホテルへと移り、そこで出会った男性から、「その声で歌手を目指さないのはおかしい」と指摘される。

「音楽に対してすごく熱くて、目に嘘がない彼に言われたことで、初めて心が動きました。調べたら、お金がなくても音楽を勉強できる学校に行ける、新聞奨学生制度があったんです」

 一念発起して上京し、EXILEのATSUSHIが卒業した専門学校へ。

「朝2時に起きて新聞を配ります。6時半ごろ終わって、仮眠を取って学校へ。授業が終了すると、1時間自主練して、夕刊を配りに。そんな生活でした。体力的に辞めていく人が多かったんですが、バスケットの練習に比べたら楽勝でした。ただ、もっと歌の勉強がしたいのに、なんでこんなことにって思うことはありました」

 睡眠時間を削って歌の練習をし、苦労の末、首席で卒業。デビューは約束されていると思っていたが……。

「あれっ? やっぱり才能がないんだと、1度はあきらめました。そんなときに『THEカラオケ★バトル』に出てみないかって話をいただいたんです。そこから、初めてファンの方が前にいる場所でライブをする機会を持てた。そのときに“ここでいいんだ。この場所で合っているんだな”って思えたんです」

 番組で高得点を出すために声帯から血が出るほど練習した。周囲には、そう見られないことが多いが、とにかく負けず嫌いで、努力の人。それが今につながっている。

「どちらかと言えば、カラオケ★バトルは、点数を意識した“うまい歌”。でも、もっと感情に訴えることができるのは、“いい歌”だと思う。新人賞も紅白出場も決まったらうれしいけれど、それ以上にちゃんと歌詞を伝えられて、“いい歌をうたうね”って、言われるようになりたいです」

■僕にしか歌えない作品  

 デビュー曲『あいたい』は、彼を試すような曲だ。

「うまさを出すのが難しいけれど、いい歌にはできる曲。ありのままの僕を表現できる、僕にしか歌えない作品です。聴く人が、会いたい人に思いをはせられるような曲であってほしいと、歌っています。

 自分の思いをこんなにダイレクトに伝えられて、人の心をゆさぶることができる職業って、なかなかないと思う。だから、40歳のときに『あいたい』を歌ったら、20歳の人はどんなふうに受け止めてくれるんだろう。60歳になったとき、どんな気持ちで歌っているんだろうと、僕も曲も成長していく姿が、楽しみなんです」