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 今年1月に『やる気節』でメジャーデビューを果たしたやしまひろみ。

「もう、歌手を辞めようと思っていたんです。なので、まさかこんないい曲に巡りあえるなんて……」

 25年間、歌手として歩んできたここまでの道のりは、長く厳しいものだった。あるレコード会社幹部も驚きを隠さない。

「女優さんやタレントさんなど、知名度がある方なら50代でのデビューはあるでしょう。ですが、無名の歌手がこの年齢でメジャーデビューなんて、聞いたことないですよ。演歌界ではこのことに話題騒然です」

 やしまが歌手としてレコードデビューしたのは19歳のとき。しかし、インディーズというマイナーな世界でのことだった。そのときのことを彼女はこう振り返る。

「オーディションに行ったら、“プライベート盤だがレコードを出さないか”と言われたんです。レコードを出せば本物のプロになれると思っていましたし、歌手としてデビューしたかった。なので、プライベート盤でもいいので出すことにしたのです」

 だが、それは製作費やプロモート費を歌手が負担するということ。売れればお金が入るかもしれないが、そう甘い世界ではない。

「1度は結婚して歌の世界から離れた時期があったのですが、夫の借金問題などで離婚し、すぐに戻ってきてしまいました。何枚も曲を出したのですが、プライベート盤なので、CDを出すたびに多額の費用がかかりました。実家はみかん農家で、私を応援するたびに、みかん山をひとつ、ふたつ、みっつと手放して……。本当に親には迷惑をかけたと思います」

 それでも歌への情熱は冷めることはなかったという。子どもを連れキャンペーンに行けば、楽屋から子どもが出てきてスピーカーにのぼってしまったこともあったという。

「歌手をしていて、苦労したとか、つらかったという思いはあまりなかった。ただ、50歳を越えたあたりから、“このままでいいのか”という思いが出てきたんです。精神的にも金銭的にも行き詰まりを感じてきたんですね」

 やしまは歌謡界などの知人に、自分の今後を相談したという。そして、紹介されたのが、福岡県で数々の大物芸能人をプロモーションしてきた芸能プロダクション社長だ。

「今まで出した歌を社長が聴いてくださり“いい作品がないな”と。もし、メジャーでやりたいのなら、“物の見方や考え方、歌い方、化粧の仕方まで一からすべて変えなさい”と。

■夜行バスで歌のレッスンに通う日々

 そして、“全力で応援するから2年間は死ぬ気でやり、ダメなら引退しなさい”と言われたんです。それで、社長が管理する楽曲から20曲ほど聴かせてもらい、『やる気節』と『四国旅情』を歌わせていただけることになったのです」

 夜行バスで自宅のある静岡から福岡へ、歌のレッスンに通ったやしま。新天地から再出発した彼女に歌の女神が微笑むことになる。

「初めはマイナーでCDを出す予定だったのです。ですが、『やる気節』を聴いた日本クラウンさんが、“メジャーで行きましょう!”と言ってくださり、怖いくらいにトントン拍子で話が進んだのです」

 『やる気節』の作曲は、『南部蝉しぐれ』『浪花節だよ人生は』の四方章人。そして制作陣には氷川きよしや細川たかしを担当したトップディレクターが就任する。文字どおり、メジャー歌手にふさわしい超一流の人たちが彼女をバックアップした。

「メジャーデビューして、本当に何もかも変わりました。意識とか、考え方など。いままで応援してくださったお客さまからは“生き生きしてきたね”って言われます」

 今年4月には健康食品のCMで女優の市原悦子と共演。着々とメジャー歌手として活動の幅を広げている。

「市原さんとお話しさせていただいたら“本当に歌が好きなのね”っておっしゃってくださったんです。市原さんは舞台の照明や立ち位置など、妥協することなくスタッフさんと相談されていました。超一流の方の仕事に対する姿勢を間近で見させていただき、すごく勉強になりました」

 メジャーとなった今も変わらず続けていることが、車でのキャンペーン巡りだ。音響機材などを載せたワンボックスカーをひとりで運転し、全国を回っている。

「4年前に新車で買った車は今では20万キロを超えています。マネージャーさんなんていませんから、何でもひとりでしないといけないんです。でも、ファンの方が機材をセッティングするのを手伝ってくださったり、中には自宅に泊めてくださる方もいる。本当にファンのみなさんには感謝しています。

 『やる気節』は本当に私の等身大の歌です。お客さまに元気になってもらおうと思いながら歌っているんですが、逆に元気をもらっています。やっとメジャーの舞台に立たせていただいたので、これから“やる気全開”で頑張っていきます!」