30年続いた人気ラジオ番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ)が今年4月に終了。その後を受けて登場した伊集院光は深夜番組とは心構えも趣も少し変えて、朝の番組に挑戦中。その話術の原点は、落語だった。
「スタートは落語家なんですよ。僕が通っていた中学に落語が好きな先生がいらっしゃって、中学校なのに落研があって入部したんです」
その後、受験競争の荒波にもまれながら高校に進学するが、挫折を味わい、周囲を心配させることも。
縁あって、三遊亭一門に入り、当時の楽太郎(現・圓楽)師匠の下で、古典落語を学ぶ。三遊亭楽大の名前で高座に上がり、テレビ番組『笑点』(日本テレビ系)の若手大喜利のメンバーにも選ばれるかたわら、ラジオの世界に足を踏み入れることに。
「兄弟子で落語家をやめて放送作家になった人がいたんです。彼の担当するラジオ番組へのオファーがあって、師匠には内緒で出ちゃった。僕の顔が想像できない芸名をということで、今の名前をつけました。それがきっかけとなってラジオの仕事が始まったんです」
最初の仕事は、朝の番組のレポーターだった。そこでの破天荒なレポーターぶりが『オールナイトニッポン』のスタッフの目に留まり、いよいよ“ラジオパーソナリティー”の仕事が舞い込むことに。
「本当に偶然が偶然を呼んだんですね。そのころの『オール~』は超人気番組で、パーソナリティーが有名人ばかりだったんです。でもスタッフは、『オール~』は1曜日は必ずわけのわかんないやつがいなきゃダメ、という考えがあり、それで朝の番組にとんでもないバカがいるから、こいつを使おうとなって抜擢されたんです。
でも困ったのは、まだ落語家もやっていたので、伊集院の活動はナイショのまま、大変な二重生活が続きました。この数年間は上がったり下がったりの不安定な日々で、このままでは伊集院も楽大も共倒れになると思い、落語家を廃業しました」
そのころ、またしても偶然に、お化けラジオ番組『三宅裕司のヤングパラダイス』の後番組が1年で終了し、伊集院に白羽の矢が立つ。
「あのときは緊急リリーフ、補欠合格です。それで『伊集院光のOh! デカナイト』という番組が始まり、当たるんです。理由はハードルが異常に低かったから。三宅さんの直後だとハードルは高いが、1度落ちていますから。
それと緊急リリーフにしちゃ、ちゃんとできているなと褒められ、番組もヒットして世に出るキッカケとなったんです。いつも言うんですが、とにかく適当な人生に偶然の要素が作用して、今日までごまかしきってきた」
波瀾万丈の末、多くのファンのハートをつかんで離さない伊集院ワールド。最後に今後について聞いてみると、
「朝の番組をちゃんと形にしなきゃとは思います。そのためにも、主婦の人たちにラジオを聴いてもらいたいですね。僕が思っている以上に、専業主婦のおばちゃんたちはアグレッシブに生きているんだなと、最近、つとに感じることが多く、そういう人たちに習慣としてラジオを聴いてほしいですね。
50代以上の主婦の方は、すでにラジオを聴いている方が多いので、40代の主婦の方たちにもっと聴いてほしいですね。最近のアラフォーの女性たちは、向学心が強くて、面白いと思うモノに対して一歩踏み出すスピードが速いんですよ。
そのへんは、僕ら男が負けているところで、そういう女性たちが楽しめるメディアにならないといけないかなと思いますし、選ばれることで、番組がよくなると思っています」