‘54年、映画『ゴジラ』で初主演を果たし一躍トップスターとなった宝田明。82歳になった今でもミュージカルに精力的に出演している。若々しくいられる彼の健康法や、今後はどんな生き方をしていくのかを聞いた。
■『ゴジラ』の主演に抜擢
「友人に“とにかく宝田やってみろよ、落ちてもともとじゃないか”と言われたのがきっかけなんですよ」
参院選に出馬するとの報道もあった宝田明だが、これは選挙の話ではない。今なお旺盛に活動する彼の原点となった、東宝ニューフェイスのオーディションのこと。
「終戦の2年後に満州から帰ってきて、やっと平和に暮らせるようになりました。学校の演劇で自分以外の者になることに興味を持っていたときに誘われたんです。
受験会場の撮影所に行くと何千人も並んでいて、怖くなって帰ろうとしました。守衛さんに引き止められて思いとどまり、5か月後に最終の6次審査まで進みます。1次から残ったのは僕ひとり。ほかはみんな縁故でしたから」
東宝演技研究所での研修中に、宝田は映画『ゴジラ』の主演に抜擢される。
「ビキニ環礁の核実験や第五福竜丸の被ばくが問題になっていたころです。経験は浅いけど精いっぱいスロットル全開にしてやることはやった。観客動員数は960万人という大ヒットになって、その後50年間のうちに28本もゴジラ映画が作られることに。歴史に残る大変な作品に出演できたことはラッキーでした」
■撮影所から銀座に直行
一躍トップスターになった宝田は、派手に遊ぶようになる。夜な夜な銀座に出かけてバーやナイトクラブをハシゴ。
「遊びたくもなりますよね、自分の金だもの。銀座なんてやっぱ夢だからねぇ。自分の金で飲むから何も文句言われることはないわな」
昭和のスターらしく、遊び方は豪快。仕事が終わると、撮影所から銀座に直行した。
「車で向かうんですが、飲むと乗れないから置いて帰る。翌日取りに行くと、どこにあるかわからない。ドアボーイさんに聞くと“何丁目のどこどこに止めてあるよ”と教えてくれます。ピンクのキャデラックに乗っていたから、すぐにわかるんですよ」
『太陽の季節』でデビューした石原裕次郎は飲み仲間。2本掛け持ちだった宝田の撮影が夜9時ごろに終わると、毎日のように銀座へ。
「当時は東西の酒の番付があったんです。西の横綱は勝新太郎、東の横綱は三船敏郎、石原裕次郎と僕。美空ひばり、江利チエミともよく飲みましたね。3人で飲んで、ウイスキー3本は軽く空くってことですね。家で飲んだらそんな飲めないですよ。
外で飲むときは飲みながら周りを気にします。僕らの酒っていうのは、1人対5人とかで飲まなきゃならない。だからみんなの乾杯なんか受けたりしても、グッとお酒を殺して(酔わないように)飲んでいました」
酒は今も飲んでいるが、タバコは19年前にやめた。狭心症でバイパス手術を受け、生死の境をさまよったからだ。
「心臓を守る動脈が96パーセントも狭窄していて、キリで刺されるような痛みの中で仕事していたんです。ぶっ倒れたときに医者から“あんた死んでもいいの?”と言われました。タバコは健康によくありませんからいけませんが、酒は深酒しなければ問題ない。
うちに帰れば缶ビール1本と焼酎を2杯ぐらい。みんなで飲むときは焼酎を5杯ぐらいグーッと飲みます。酒は勢いのモノだから、楽しくてワーッとみんなで飲んでいたら、ストレス発散でいいんです。あと、美味しいものをいただきながら飲む分には、健康にも良薬となるんじゃないかと」
■80歳を越えてもセリフを覚えるのは得意
宝田は'64年『アニーよ銃をとれ』や'66年『風と共に去りぬ』などのミュージカルでの名演も有名だ。82歳の今も、力強い歌声を聴かせる。
「聖路加病院の日野原重明先生が応援してくれるシリーズの第2弾『マリアと緑のプリンセス』を始めて2年目です。全国からオーディションで集まってくる小学3年生から高校3年生までの子どもたちと一緒にやっていると、彼らの若さ、熱心さっていうのをもらえます。
ミュージカルをやることは普通じゃない大変な仕事なんです。発声訓練も肉体訓練もやらなきゃいけない。“歌・踊り・芝居”、この3つの要素ですから、映画とはまた違った演技形態を要求されるんですよね」
セリフを覚えるのは得意で、方法は企業秘密とのこと。体力を保つために毎日欠かさない習慣は教えてくれた。
「事務所は1階で住まいは3階。32段あってそれを1日5回ぐらい上がったり下りたりするんです。往復5回すれば150段ぐらい上り下りするのでいいエクササイズになります。何か1つわざと忘れて自宅へ取りに行くこともあるんです。ただ、健康でいるために一番必要なのは、感動することと感激することです」
80歳を越えても挑戦し続けるのは作品を見た人にいい影響を与えることに喜びを感じるから。が、自分の死を意識することはあるという。
■一番に憎むべきは戦争
「いくら僕が長生きしたいって言ってもできないんだよ。酒もタバコもやめて謹厳実直に生きていますって言ったって、死はどっかで待っているんだよ。そこまで、精いっぱい行くしかない。だから人生、日々がスタートだと思っている。これまでにも、僕は死ぬかもしれない瞬間というのはあった。それでも、なぜか神様は僕を生かしてくれた」
満州から引き揚げるとき、ソ連兵に撃たれて負傷したこともあった。泥水をすすり、草を食べて生き延びたからこそ、伝えたい思いがある。
「戦争で犬死にはしたくない。させちゃいけない。殺し合いの場において人を死なせちゃいけないし、相手も殺しちゃいけない。それだけだよ。一番に憎むべきは戦争。罪もない人がうんと死ぬんだから。
日本だって、広島・長崎で約28万人っていう人が、東京大空襲では2時間で約13万人が死んだ。だから戦争のない国にならなければいけない。利己主義じゃなくて個人主義がいい。個人主義は自分を愛するがゆえに、人を愛する力を持てるんです」
自らの天命については達観している。
「神様が決めてくれることなんだからわからない。それまで精いっぱい生きなきゃしょうがないでしょ。目いっぱいエンジン吹かして、お呼びが来たら周りに世話をかけずにスパッと死を迎えたい。映画で言えばカットアウトです」