朝ドラヒロインから小説家に転身。芥川賞候補になるなど、文壇で活躍する芸能人の先駆けとなった高橋洋子が、ついに芸能活動を再始動させた。
「初めの3日間は骨がボキボキになりました。こんなに体力がなくなっていたのかと、びっくりしました」
'72年に映画『旅の重さ』で役者デビューし、翌'73年にはNHK朝の連続テレビ小説『北の家族』のヒロインに抜擢。1度は芸能界から離れていた彼女が、来年春公開の映画『八重子のハミング』で28年ぶりに映画の世界に戻ってきた。
「20年以上前の2時間ドラマが最後の撮影でした。それ以来です。でも、監督からは“やっぱり映画の人ですね、大丈夫ですよ”と言われましたので、ホッとしました」
映画は山口県萩市を舞台に、がんを宣告された夫が認知症の妻を介護する物語。高橋は徐々に記憶をなくしていく主演の妻を見事に演じ切った。
「昨年、自宅近くで佐々部清監督にお会いして脚本を見せられたのですが、難しい役だなあと思いました。それでも、彼は私で撮りたいと。監督の方針で、撮影開始の3日間は特にキツくするんですよ。そうすると、俳優もスタッフも覚悟ができるんですって。
初日から萩でロケだったんですが、いきなり夜の雨のシーン。しかも、山口県の方言なんですよ。関西弁とは少し違うし……。いつも覚えていっては、イントネーションが違うって直されましたね。それにしても、夫がどれだけ妻に尽くすかという話で重い認知症の妻役はつらかった。五感を使っちゃいけないので、本当に難しい役でした」
■デビューのきっかけは吉田拓郎のラジオ
高橋といえば高校卒業後、文学座の演劇研究所に入所。その年に映画主演デビューというチャンスをものにする。
「文学座の研修生のときに深夜放送のラジオを聞いていたら吉田拓郎さんが“今度、僕が『旅の重さ』という映画の音楽を作ることになりました。素敵な少女を探していますので、こぞって応募してください”と言っていたので、写真を撮って応募したんです」
写真選考を通過し、オーディションに臨む当日。まさかのアクシデントが。
「文学座にはテレビ局のプロデューサーが新人を見つけるためによく来るんです。『旅の重さ』のオーディションの日に、フジテレビのプロデューサーが来て、劇団の前にある喫茶店でいろいろと話が始まっちゃったんです。
でも、こっちはオーディションがあるから、もうひやひや。トイレに立つフリして、当時、携帯なんてないですからピンクの公衆電話で松竹に電話したんですよ。“どうしても時間には行けません。どうすればいいでしょうか?”と。
そうしたら、“監督が写真を見て選んだ人には全員に会いたいと言っています。なので、遅れても来てください”って言ってくださったんです」
プロデューサーとの面談が終わり、急いでオーディション会場へ。松竹のある東銀座まで全速力で走ったという。
「Tシャツが張りつくほど汗びっしょりでオーディション会場に駆け込んだんです。“すみません。〇〇番の高橋です。何時間も遅れてすみません”って。そこで、斎藤耕一監督は“見つけた!”と思ったみたいですね。だって映画の舞台は夏で、野性児みたいな女の子の映画でしたから」
■最高視聴率51.8パーセントを記録
『旅の重さ』では女性同士のラブシーンやヌードなどもあった。それだけに、翌年にNHK朝ドラのオーディションを受けたとき、文学座も松竹関係者たちも無理だろうと思っていたという。
「今でもそうですけど、NHKの朝ドラといえば、清純みたいのが売りですからね。でもオーディションもどんどん進んで、周囲もさすがに、“アレ、これ受かっちゃうかも”みたいな感じになってきたんです。朝ドラのプロデューサーはNHKの上の人に、“ヌードになっていますけどいいでしょうか?”って聞きに行ったみたいですよ(笑)」
平均視聴率は46.1パーセントで、最高視聴率は51.8パーセントを記録。まさに国民の半数が見たドラマだっただけに、高橋の名前は一挙にメジャーになった。
■同期の松田優作と共演した映画で
そんな高橋と文学座で同期だったのが、俳優の松田優作だ。彼も映画『狼の紋章』やドラマ『太陽にほえろ!』に出演し人気を博していく。
「優作さんとは『ひとごろし』で共演しているんです。京都の東映で撮影したんですけど、私は東京から車を持っていったんです。シビックに乗っていたんですけど、彼が“いいなあ、乗せろよ”って。あの身体の大きな優作さんが、小さくなって助手席に乗ったんですよ。
嵐山など、いろいろドライブしましたよ。それで、優作さんはよく焼き肉屋さんに行くの。でも、あの人はセンマイ刺しが大好きで、焼いたお肉は“洋子肉食え、食え”って、ほとんど私に押しつける。だから、あの映画では、私は太っているの。優作さんに太らされたのよ(笑)」
■女優業だけでなく芥川賞の候補にも
女優として着実に実力をつけてきた高橋が、小説を発表したのは'81年のこと。デビュー作『雨が好き』で中央公論新人賞を受賞する。
「19歳で文学座に入って、29歳で新人賞をとるまでの10年間で階段を駆け上がるように女優をしていましたよね。小説を書いたのはきっと女優として不安だったんでしょう。いろんな役をやって、自分がどの役が合っているのかわからなかったり、少女の役で当たっちゃったため、大人の女性を演じるのに悩んだり……。
たまたま藤田敏八監督と飲み屋で出会ったとき、“自分がどういうキャラか決める前に、小説を書いちまったなあ”って言われたんです。もっともだなって思いましたね。自分がこういうキャラクターだって決められなかったんですね」
'82年発表の2作目『通りゃんせ』は芥川賞候補に。小説は50万部も売れるなど、文壇に認められた初めての女優となる。
「でも、次の作品を発表するのに7年も空いちゃったんです。純文学にこだわらず、もっと軽いものを書いていればよかった。やっぱり、私小説ってつらいんですよ。自分の身を削って、自分をいじめ抜かなきゃ作品は生まれないから。それよりも自分と同じような不器用な人たち、うまく生きられない人間をテーマにしていきたいですね」
■13年ぶり新作小説を発表
今年4月に13年ぶりとなる待望の新作『のっぴき庵』(講談社)を上梓した。仕事がなくなった役者ばかりが入っている老人ホームが舞台で、やはり不器用な人間ぞろいだ。
「登場人物のキャラをこしらえていくのは、楽しかったですね。『のっぴき庵』のように、私はこれから社会に溶け込めなかった人たち、悩んでいる人たちを書いていきたい。みんな人生、不器用なところはあるでしょうから。女優のほうは隙間産業でしかないですよ(笑)。
今回みたいに主演の映画なんて珍しいでしょ。今回の映画で演じ切って、こんな高橋洋子を使ってみたいという監督さんがいらしたら、どんどんチャレンジしていきたいですね」